信頼できる人とのシェアは最大のリスクヘッジになる。コロナ禍だからこそ考えたいシェアのあり方。

  • 2020年12月31日
  • 2021年3月12日
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2020年4月11日。
社内チャットにメンバー向けに一つのメッセージを送りました。

コロナによって大打撃を受けているシェアリングエコノミー業界について想うことを記載しました。nukumoも『シェア』に可能性を感じている一企業として、みんなに伝えたいことがあったからです。

メンバーに送ったメッセージ

nukumoのみなさんへ

このコロナ騒動をきっかけに、シェアリングエコノミーのピンチだ!的な記事や発言をよく見ますが、なわけないので心配しないでください。
わざわざ言わなくても、誰も心配してないと思いますが(笑)、いい機会なのでnukumoの社会におけるポジショニングと世の中で起きていることを改めて整理します。ちょい長文ですが最後まで読んでね。

そもそも、僕らの定義するシェアとは、余剰を分け合うであり、そこには助け合う精神があります。また余剰というのがポイントで、余裕がない人が何かを分け与えるような自己犠牲が伴うものを僕らは期待していません。

一方、残念ながら社会では、新規に購入した物件を貸し出す、概念的には従来の宿泊業と何ら変わらないものですら、シェアと呼ぶ風潮があります。むしろ、シェアリングエコノミー協会が出しているカオスマップをみると、そちらが大半です(ほぼ全てと言っても過言ではない)。これまでも、シェアの定義が曖昧なまま社会に浸透していくことへ何度も危惧してきました。ただ、AirbnbやUberといった、社会がシェアリングエコノミーの代表だと認識するサービスが世の中にプラスな側面を与えているのも事実なので、あまり声を大にして危惧を提示することは避けてきました。しかし、シェアという言葉を安易に使い、それで事業を行うことには危険性が伴っており、コロナにより、その危険性がまし、さらには社会の風向きとしてシェアそのものを考え始める流れにもなってきました。

これは僕らにとっては一大事です。nukumoのビジョンを達成するためには、シェアは必要不可欠な行為です。しかし、資本主義という枠組みでシェアを捉え、それがあまりにも一般的になったがために、シェアそのものを疑い始める流れが生まれはじめています。何としても、それは阻止すべきだし、今こそ僕らの考えるシェア(というか、これが感覚的に感じてきたシェアなはずだが、、、)が如何にwithコロナ、そしてafterコロナにとって重要かを示す時だと思います。初期の生まれた理由はどうであれ、もはやAirbnbもUberもシェアのサービスではないです。もう断言します。利益のために物件を買い、それを第三者に提供する。これはシェアではなく単なる資本主義のビジネスです。明確に分類しましょう。シェアという概念を利用した事業であり、シェアという行為を行う事業ではないです。AirbnbやUberがシェアという行為を前提に事業を作っていれば企業として何ら危険にさらされることはなかったでしょう。nukumoが今、ピンチでもなんでもないのはシェアという行為を前提に事業を展開しているからです。事業規模が小さいからでは?という、ご指摘が聞こえてきそうですが、その質問が事業規模を大きくするとは売上高をあげる、利益をあげるという資本主義の概念で捉えての発言だとすれば、僕らはその領域で活動していないので、僕らに対して、事業規模が小さいからでは?という質問はそもそもナンセンスです。僕らは事業者でありながらも、その事業の中で生きている。逆に生きていけるような事業を展開している。しいてはシェアの中で生きている。手数料で稼ぐといったプラットフォームビジネスではなく、シェアという行為を前提とした事業を行っている。そこにお金が必要であれば稼ぎます。ただ、重要なのは売上高でも利益でもない。どれだけシェアという行為が行われているかです。

nukumo houseはシェアで成り立っています。家賃がめちゃくちゃ安いのはコミュニティのメンバーがいつも住民税(会費)を払ってくれて、それを家賃に当てることができているから。もちろん、大家さんも利益目的ではないから安く済んでいることも忘れちゃいけない。なんなら、昨日も夜を家のみんなで食べました。そのご飯も作ってくれました。まさに僕らが理想に掲げるシェアそのものです。nukumoにとって一番の固定費であるシェアハウスの家賃も払えなくなることは限りなくゼロに近い。家賃が安いので住んでいる人の収入が減っても払えなくなるまでの猶予がある。会費もみんな続けて支払ってくれています。コロナの影響があれば支払いをやめてもいいと伝えると、ありがたいことに支払う意思表明をしてくれた。僕らは彼らに支えられて生きていることを事業を通じて、ひしひしと感じます。

今、ゼロベースで僕らの目指す形をもう一度見直しています。ただ一つ確信していることは、シェアとは誰かを助けることができ、自分自身も助けることができる行為であるということ。人を助けた人は、人にも助けられる。そういった関係構築をnukumoが事業として展開していくことは間違いありません。そうした感覚があまりなかった僕にとって、あきとと出会い、この大切さに気付かされたことを本当に感謝しています。それと同時にシェアという行為の素晴らしさが安易な言葉の使われ方によって危機にさらされているのは我慢がなりません(シェアの本質的ではないところで危惧されている現状は非常に悲しい)。必ずアクションしましょう。必ず。シェアとは何か、僕らが社会に再定義する。シェアは何も危機ではないです。むしろ、withコロナを支え、afterコロナの社会を発展させる基盤行為となる。そう強く確信しています。

引き続き、一緒に頑張っていきましょう。
サポートメンバーのみなさんも今は各自の状況も大変かと思います。この間にあきとと頭をフル回転させ、理想への道筋を作っておくので、落ち着いたらまた手伝ってください。引き続き、よろしくお願いします。

AirbnbもUberも大好きなサービスの一つ

誤解してほしくないのは、AirbnbもUberも大好きなサービスです。
nukumoは定期的に合宿を行いますが、その合宿ではよくAirbnbを利用しています。

特にAirbnbのCEOがコロナ禍において、従業員に送ったメッセージには痺れました(ご存じない方はこちらに詳しくまとまっています)。苦境に置かれたときの対応力こそリーダーに求められることだと思っているので、本当に尊敬する経営者の一人です。

とはいえ、nukumoメンバーへのメッセージにもある通り、Airbnbの物件には利益目的のため不動産を購入し、貸し出すことで収益をあげる人達が多くいます。これは果たしてシェアなのでしょうか?これまでの不動産業と何が違うんでしょうか?シェアリングエコノミーという枠組みで話すと業界が盛り上がる。それが都合の良い人たちによって、シェアの解釈を都合よく捉え後付け的にシェアサービスとされているに過ぎないと感じるのは僕だけでしょうか?

2018年にnukumo appを立ち上げてから(現在はクローズ)シェアとは何か散々考えてきました。
世界の誰よりも考えた自負があります。来る日も来る日もシェアとは何かを考えました。ビジネスとシェアを結びつけるのではなく、シェアという言葉の本質的な意味とは何か、を徹底的に考え抜きました。シェアとは与える行為が前提としてあると考え、人々がどれだけ与えているかを評価した指標であるWorld Giving Indexで世界3位(相方あきとの生まれ故郷なのも大きい)のニュージーランドに住みながら、ニュージーランド人が体現する与える行為を体感してきました。

考えに考え(今も日々考えています)、与える人たちを周りに置き与えられる毎日を過ごしている僕にとっては少なくともシェアリングエコノミーという枠組みには違和感を感じざるを得ません。
繰り返しになりますが、AirbnbもUberも、その他のシェアリングエコノミーとされるサービスも大好きです。ただ、それを本当にシェアと呼べる行為を前提としたサービスなんでしょうか?そこだけは『シェアという行為に大きな変革の可能性を感じる』一人の人間として黙っていることはできません。

シェアによって救われたコロナ生活

緊急事態宣言の期間も含め、僕はnukumo houseで生活を行っていました。
nukumo houseのおかげでコロナ生活も本当に救われています。みんなとご飯を食べ、運動をして、外出できない中でもnukumo houseのみんなといることで本当に楽しい日々を送れました。これまでは苦しい人もいる中で、楽しい日々をオープンにするのは何だか気が引け個人のSNS含め極力nukumo houseに関わる発言を避けてきました。ただ、nukumo houseには「シェア」がたくさん詰まっており、nukumoが目指すシェアの形を話す上で欠かせない存在なのでしっかりと書き留めることにしました。

これからお話しする内容は、決して僕が裕福だから手に入れたチャンスではないです。素敵な大家さんに出会えたという運はありますが、これもある意味、僕がそういう環境を求め行動していたから出会えた話でもあり、誰にでも巡り得るチャンスだと思います(それにしても幸運でした)。少しでも素敵だなと思う人がいれば、ぜひ行動しチャンスを拾いに行って欲しいです。

多様性あふれるnukumo house

nukumo houseとは、一軒家(2F建て地下付き)をnukumoが契約させてもらっているシェアハウスです。
このシェアハウスには、大家さん一家も一緒に住んでおり、下は24齢、上は89齢の計12人(2021年3月末には新しい命も誕生予定)が住んでいます。

各年代の方が住んでいることもあり、戦時中の話からバブルの話、そして若者の価値観、本当に幅広い内容の会話が毎日飛び交います。多様性に溢れるのは年代だけでなく仕事もです。エンジニアがいて、フォトグラファーがいて、マーケッターがいて、コンサルタントがいて、起業家がいて、教師がいて、料理人がいて、保険マンがいて。知識も多様なので、何か困れば誰々に聞こうとすぐなります。大抵のことは家の中だけで解決できます。

3つのシェア

nukumo houseでは「スキル」「モノ」「お金」のシェアが頻繁に起きています。

スキルは多様性ある家なので、必然的に起こり、そこにお金は一切介しません。子供に勉強教えてもお金を取らない、お母さんが料理をしてくれても報酬を払わない、家族の感覚のそれと同じです。それだけでもどれだけの価値を享受しているのか計り知れないくらい、たくさんのスキルをシェアしてもらっています。

モノに関しては、シェアハウスではなかなか聞かないような形式を採用しています。共有ルームにあるもの(食材、日用品、書籍など)は原則お好きに使ってどうぞ、というスタイルです。なので例えば、自分が買ってない卵を野菜炒めするのに足りないときに使うはOKです。日用品も書籍ももはや誰かが買ったものなのか一切分かりません。みんなの感覚で不足しているものを買い足す、ハーゲンダッツは流石に食べるとあれなのでやめておこう、など各々が判断して行動しています。nukumo houseに住み始めて、一度もトイレットペーパーを買ってない人、米を買ってない人、調味料を買ってない人も恐らくいます。けど、それでOKなのがnukumo houseです。

最後にお金ですが、nukumo houseの家賃は激安です(具体は避けますが、値段を聞くとびっくりすると思います)。そのカラクリはシンプルで大家さんが、そしてそれを借りているnukumoが一切利益目的で物件を提供していない点にあります。大家さんは固定資産税や光熱費を家賃でまかなえればOK、nukumoも大家さんに払う家賃がまかなえればOKで運営しています。大家さんもnukumoもお金ではなく、nukumo houseが生み出す価値で貸し出しています。

自己犠牲はしない

nukumo houseでは様々なシェアが行われていますが、全てに共通していることは誰も自己犠牲をしていないことです。
分かりやすいのでお金から話すと、大家さんも家賃収入で暮らす必要性がないから固定資産税と光熱費をまかなえる程度の家賃でnukumoに貸してくれていますし、nukumoもnukumo houseの家賃以外に収益源があるので大家さんの家賃が支払えればOKというスタイルを取ることができます。
スキルやモノも一緒で、仕事がある時は当然仕事を優先しますし、お金がないときに贅沢な食材を買ってきてみんなに振る舞うなんてこともしません。みんな自分のできる範囲で与えているだけです。「これを与えたから、これをもらう」という考え方ではなく「与えれる状況なので与える」という感覚です。

僕らは自己犠牲の伴うシェアを望みません。
ゆとりの範囲で与える行為ができる人がnukumo houseに集まっているのが何よりもの特徴です。

補足ですが、ゆとりとは決してお金がないと手に入らないわけではないです。お金があっても毎日が忙しく心に余裕がなければ他者に気遣うことはできず自分のことで精一杯でしょう。自分の欲のために行動していてはいつまでの欲が尽きず他者に与えることをしないかもしれません。確かに最低限の生活ができるだけのお金は必要かもしれません。ただ、最も重要なのはお金よりも心の持ちようだと考えます。

シェアの可能性

nukumo houseで起きているシェアは核家族で起こすのは難しいです。
起きたとしても頻度や幅は広く、それは結果として受け取れる価値も小さくなります。

多様な人がいるからこそ、面白く価値あるシェアもたくさん起き、結果恩恵を得ることもできます。
もちろん、この暮らし方を全員にオススメしているわけではないです。正直、素でシェアができる性格な人でないと生き苦しさを感じる可能性すらあると思います。

ただ、僕はシェアを受け入れれる人は、「独立した個人の集まりとそれを支えるシェア循環の仕組み」の中に身を置くことで、一人で生きるより、少人数で生きるより、多様な価値に触れられる楽しい日々になると考えています。また時には、一種のセーフティーネットにもなりえると思います。このコロナ禍で毎日楽しく過ごせたのもnukumo houseがセーフティーネット的な役割をしていたからだと思います。

この仕組みを、家族という形で作るもよし、村という形で作るもよし、オンラインコミュニティという形で作るもよし、形は様々なので自分に合った形のものを見つけれると常に学びがあり、常に楽しめる日々を送れるのではないでしょうか。

nukumoが目指すのは、信頼できる人たちと作る共同体で価値のシェアが起き、辛い時にはセーフティーネットにもなる、そうした場を数多く作ることです。コロナのような大変なことがあっても、信頼できる人たちと日頃から作り上げたネットワークがある人は力強く生きれます。自分にゆとりがあれば誰かを助けるし、自分が困っていれば誰かに助けてもらえる。これを見返りを求めてではなく、自然体でできる。そういう状態を目指して、2021年も活動していきます。

最後に

2020年を振り返ったときコロナにより大変な思いをしたひとが周りに多くいました。
大好きな飲食業界は本当に大変です。突然人と会う機会が減り寂しく家で過ごす人も大勢います。目先の苦悩をどう乗り切るか、そこに追われている人が多くいるのは重々承知しています。ただ、コロナ騒動が過ぎ去った後、僕らの生きている間、いや子供達、孫たちの世代を考えたとき、コロナのような出来事はもう起きないと言えるでしょうか?僕には到底そうは思えません。新しいウイルスかもしれない、大不況かもしれない、環境災害かもしれない、何かは分かりませんが何も起きないと断言することはできないと思います。であれば、僕は社会として、人類史として、今までの固定概念で生きるのではなく新しい歩みにより、同等な、もしくは同等以上な騒動が起きても乗り越えれる状態を構築できるよう努力したい。

コロナとは無関係ですが、結果としてコロナ騒動で浮き彫りになった社会の課題は、nukumoを立ち上げる動機になったものと、ほぼ一致しています。

昨年末、2020年代の展望として「互恵的利他行動を前提とした社会」は作れると未来予想記事を書きましたが、不幸にもその必要性がコロナにより急ピッチになったと思っています。東北の震災で地方に移住した人が多かったように、今回の騒動で何か考えを改め行動する人も多くいると思います。数年前から既に行動している人たちも多くいます。今のままではなく、何かしらの変化を求めている人たちに対して、2021年、nukumoはしっかりとアプローチしていきます。そうした変化を求め行動する人たちともに素敵な社会を作っていきたい。

僕らの挑戦の大きな軸の一つには必ず『シェア』があります。
そのシェアに対して、僕らが考えていることを記録として残したく本記事はポストしました。

まだまだ予断を許さない状況です。コロナ禍の終わりも正直分かりません。ただ一つ言えることは、指をくわえて待っていてもなるようにしかなりませんが、行動さえすれば結果を変えることは可能だということです。待つのも一つの選択肢でしょう。否定はしません。ただ僕は自ら望む社会は自らの手で手繰り寄せれるよう行動したいと思うし、そうした人たちと共に明るい社会を築いていきたいです。

2020年関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
2021年も引き続きよろしくお願いします。

special thanks
写真提供:北村渉

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