自由の定義は、あなた次第。だけど、自由な人には共通点がある。

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僕のモットーは「やりたいことをやる。全部やる。」です。

今すぐに実現できないこともどうすれば実現できるかを考え、一人ではできないときはどうすれば協力してもらえるかを考え、まだまだできてないことも沢山ありますが、やりたいことを実現していく人生を歩んでいます。

僕にとっての自由は、「やりたいことをやっている」と心から思える瞬間の連続に生きている、状態を指します。実現できなくても、やりたいことに向かって歩んでいる道のりも僕にとっては自由です。

逆にどういうときが自由じゃないかな?と考えると、自分の意思とは反する状況に抗えず従うしかない場合です。ただ後述しますが、これも自分の捉え方次第だと思ってて、自分自身が成長すれば、徐々に自由に近づけると考えており、誰かのせいでもなく、環境のせいでもなく、自分自身の振る舞い方次第で自由に生きれるかどうかは決まると考えています。

この記事では、自由に生きたいと願う全ての人にとって、何かしらプラスになる内容になれば嬉しいなと思い記事にしました。最後まで読んでくださると嬉しいです。

自由の定義は人それぞれ

「やりたいことをやっている」と心から思える瞬間の連続に生きている

これは僕の自由の定義ですが、調べた中でもっとも個人的にもっともしっくり来たのはWikipediaにあった定義

「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」

Wikipedia「自由」

ここでいう「自らの意思」と「自らの本性」とは何でしょう?考えてみます。

自らの意思

これは自責・他責の話だと考えています。

何か失敗したなと思った時、それを人のせいにするのか(他責)、自分のせいにするのか(自責)、後者の場合が自らの意思で行動していたと言えると考えています。

人のせいにするというのは何かしら不満を抱えたまま行動をしていたり、自分の未熟さを他者に押し付けようとする行動であり、これをしている間は主語が自分ではなく他者なので、自分の意思とは言えないです。〇〇さんの指示に従っただけ、〇〇さんのせいで、こうした言葉が脳裏に浮かんだ瞬間それは自責ではなく他責で行動していた証であり、つまりは自分の意思で行動していないと僕は考えます。

よく、とはいえ指示されたから仕方ないじゃん、という反論が聞こえてきますが、仮に誰かからの指示であっても自分で納得して行動していれば他責ではなく自責として考えることはできます。不満にも関わらず、納得できない箇所があるにも関わらず、それを解消するための動きをしなかったにも関わらず、他者のせいにするのは、自分の意思で行動する気がない、つまりWikpediaの定義でいうと自由ではない状態と言えます。

少し話はそれますが、不満や納得できない箇所を解消するためのコミュニケーションすら許さない環境も場合によってはあると思います。それも正直捉え方次第で、尊敬できる上司のもとで働いていれば、自分が未熟だから今はここで結果を出すしかないんだと思えれば、または環境を変える力があれば、話は変わるかもしれません。

自らの本性

自分の本性を見極めるのはかなり難しいです。日々変わり続けると思います。

ここで言う本性とは、want(〜したい)だと捉えており、今この瞬間を楽しめているか、と置き換えることもできます。これには、wantを叶えている瞬間は楽しい、という大前提がありますが、今のところwantな行動をしているときに楽しくないと言う人に出会ったことはないです。

この話をすると、いやいや1日の中でwantだけで生活するなんて無理でしょ!って声が聞こえてきそうですが、全然そんなことはないですし、実現している人は山ほどいます。その中には金持ちもいれば、そうじゃない人もいる。お金があれば、その生活を実現する手助けをしてくれるかもしれないけど、手に入れるためには結局は自分の意識をどこに向けるかです。

分かりにくいと思うので、もう少し説明します。

自分の今やっている作業が何のためか、そして、その目的がwantであれば、今やっている作業自体は楽しくなくとも目的に向かっているという実感とセットになることで楽しく感じることはできます。

みなさんも、こんな経験はないですか?

高校生の頃に読んだ英語の教科書は面白くなかったのに、留学前に読んだ英語の教科書は面白い。これはまさに目的の違いから生じるものであり、高校時代は特に目的もなく英語を学習していたのに対して、留学前は留学先での交流をイメージしながら英語を学習していた。

こうした目的意識の差で、同じ行動でも楽しさは変わる。楽しいと思える行動は、wantな行動なので、自らの本性で行動している、と言えると思います。

自由とは何か

少なくとも、これまで見てきた『自らの意思』と『自らの本性』から考えるに、いずれも主語が自らである以上、自由の定義を人類共通の何かに定めることはできなさそうです。

つまり自由という言葉を表現するには抽象的な表現にならざるを得ず、それを一つに定めることは決してできない。とうことは、誰かに自分の自由の定義を押し付けることもできないと言えます。

参考までに、僕が代表を務めるnukumoでは、自由を以下のように定義しています。

自由とは、競争によって得るものではなく、手を取り合って作られるもの。
自由とは、1つの定義ではなく、好奇心の数だけ作られるもの。
自由とは、自己中心的な人たちではなく、倫理観を持った人たちによって作られるもの。

nukumoのメッセージを全文見る

抽象度高いですよね。

その中でも僕らが大切にしている「与える」精神を取り入れて、自由を再定義してみたものになります。

ただ、これも自由の在り方の一つでしかなく、どんな形でもそれが「あなたの意思」であり、「あなたの本性」であれば、それは自由だと思います。自由は誰かが定義するものではなく、あなた自身が自分に向き合い定義するもの、そう捉えています。

自由を得るのは簡単ではない

自由で生きるとは、あなたの意思で、あなたが望む本性のまま行動して得られるものです。

裏を返せば、その行動の結果起こる出来事は、酷な話をすれば、それはあなたの責任であり、あなたが望んだ行動の結果です。誰かが指示したからでもなく、あなたの意思で望んで起こった結果です。自由になりたいと言う人は多くいますが、あなたは、この事実を受け止める覚悟があなたにはありますか?

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責任転嫁できる方が楽

成人を迎えるまでの多くの時間を自責で過ごした、と言える人はほぼいないと思います。進学先も、入った部活も、住んでいる場所も、あらゆる全てがあなたの意思とは限らず、社会に引かれたレールの上であったり、親の希望であったり、何かしら属した環境からの影響に流され、ときには強制され選択した、と答える人も多くいると思います。

僕自身、自己表現が強い部類の学生でしたが、それでも自責な生活を送っていたかというとそうではなく、事あるごとに環境のせい、親のせい、にしていました。みなさんのなかには立派に自分の意思で、自分の本性に従い生きてきたと自負できる人もいるかもしれませんが、多くの人は僕と同じく他責で生きてきたことかと思います。

ただ振り返ってみた時に、あのときの意思決定を全て自分に委ねられ、自分の判断で全てを決める必要があり、その結果はすべて自分の責任である。という、状況だとしたら、その重圧に自分自身は耐えれていたかと考えると結構怪しいです。意志が強かったとは言え、思考力も低ければ、知識も経験も少ない子供に全てが委ねられる、は正直耐えれたイメージはあまり湧かないです。

誰かが決めてくれる、そこへの安心感を何となく抱いて生きていたんだと今は思っています。
もしかしたら、今自由を求めているあなたも心のどこかで自由と言っておきながら、誰かに意思決定してもらうことを望んでいたりはしていませんか?

誰かに責任転嫁できる方が楽なのかもしれません。

それでも自由を求める

そうした他責な生活の中でも、自分に意思決定権がない状況に心地よさを感じない人もいると思います。

確かに『楽さ』で考えると責任転嫁できる状態のほうが良いかもしれませんが、自分の意思で、自分の本性に従っている瞬間の方が楽しい。日々を楽しく生きたいと考えると、自由な状態であることが望ましいと考える人も一定数いるのではないでしょうか?少なくとも、僕は『楽さ』よりも『楽しさ』を日々に求めるので自由でありたいと思います。理由はさまざまにしろ、自由でありたいと思う人は確実に多くいて、それが人間の本性であり、あとは自分自身に責任が伴う行動を取る勇気があるか、そういう話なのかなって思います。

自己責任の部分に関しては、誤解が生じる可能性があると思うので、一つ付け加えておきます。

ここでいう自己責任とは、自分自身の行動が思うような結果にならなかったときに、その原因の矛先が自分自身であるかの話です。つまり、第三者が「あなたの意思で行動したのだから、それはあなたのせいです」と振る舞うのは、また話が異なります。これに関しては、本人が最も残念な想いをしているわけなので、周りは支えてあげる、そんな環境であって欲しいと思っています。この件に関しては、僕らのコミュニティメンバーである動画クリエイターたつやの素敵なインタビュー動画があるので、それを掲載しておきます。

「夢を失敗したら自己責任」よりも「支え合って生きれる」社会

自由を得るために必要なこと

自由とは、「自分の意思」で「自分の本性」に従っていることであり、そのためには他責ではなく自責である必要があるのではないか、というのが自由に対する僕の考え方です。この考えで言うと、お金があっても自由ではない人はいっぱいいますし、お金がなくても自由な人もいっぱいます。お金というのは自由を得るための手助けはしてくれますが、本質的な手段ではなく、お金に溺れてむしろ自由を失う人も多くいるように感じます。

例えば、1000万の年収があっても仕事を楽しいと思わない人もいれば、400万で楽しいと思う人もいます。仕事という文脈だけですが、どちらが自由そうかというと後者じゃないでしょうか?

お金を得れば自由になれる、そう思っている人も多くいると思いますが、決してそんなこともなく、よく年収に比例して幸福度は上がらない(途中で頭打ちになる)と言われるのが良い証拠だと思います。

少しずつ自由度をあげていく

自由になるにはお金を得るよりも、「自分の意思」で「自分の本性」に従える状況、を作る必要があります。

この状況を作るのにお金が必要な人もいれば必要じゃない人も、最低限あれば十分な人も、たくさんないといけない人もいるでしょう。そこは人それぞれです。

では、どうすれば「自分の意思」で「自分の本性」に従える状況を作れるか。これが非常に難しい問いになります。

正直どんな人生を歩んできたか、どんな知識を経験を得てきたか、で状況を作る難易度は変わるかもしれません。今まで誰かの指示で生きざるを得ない環境にあった人に明日から全て自分で決めなさいはあまりに酷です。

あなたにあった速度で、一つ一つ自由度をあげていくしかないです。
あなたが望む自由の定義によっては、かなり時間がかかるかもしれない。だけど、何かにおいて少しでも自由と感じれる、これが積み重なっていくことで徐々に日々の行動がwantだけで形成されるようになっていく、のではないでしょうか。

自由を分けて考える

自由を考えるときに、僕は3つ「経済的自由」「精神的自由」「時間的自由」に分けて考えるようにしています。

「経済的自由」とは、お金の話ではなく衣食住など人間の生活に必要不可欠な物に対してであり、これらを自分の必要と感じる量得れているか。

「精神的自由」とは、人間関係のなかに精神的な負担がなく、自分の望む関係値を周りの人気付けているか。

「時間的自由」とは、自らが望むタイムスケジュールで生活しており、必要に応じて時間の融通を利かせれるか。

なぜ、分けて考えるのか。それは闇雲に自由を目指しても何をすれば良いか分からないからです。でも、例えば経済的自由を目指そうと考え、自分の置かれている現状を振り返ると何故自分が自由と感じれてないのかが少しずつ見えてきます。課題が見えれば解決策も考えうるので、自由度を上げるための努力ができます。

人間が求める自由は、この3つに集約されるのでは無いかというのが僕自身の考え方ですが、もしかしたら違うという人もいるかもしれません。自由は人それぞれなので、それでOKです。まずは、それを考えてみることが大きな第一歩だと思います。

100年時代を自由に生きる

人生100年時代と言われ、僕らは長い時間を生きます。どうせ長く生きるなら「楽しく生きたい」。しいては自由に生きたい。

肌感ですが周りでも自由を目指す人は格段に増えました。稼ぐよりも、やりたいことをやる。安定した職業よりも、やりたいことをやる。そうした意思決定を自らする人が年々増えているように感じます。

僕自身もその一人ですし、何か僕にできることがあるなら、彼らが少しでも早く自由と思える状況になる手助けをしたいと想いサブスクールを開校しました。

サブスクールとは?

サブスクールは、僕が経営しているnukumoや僕らが尊敬する自由な生き方をする人たちを事例として、自由とは何か、どうすればなれるか、そして、その具体的な方法を学ぶオンラインスクールです。

僕自身、自由に行きたいという思いは強く、サラリーマンではなく起業しているのも自由を得るための一つの選択肢です。本当にさまざまなことに日々多くの壁にぶつかりながら、自由度をアップデートしています。

自由は人それぞれのため、必ず僕の考えがあなたにも当てはまるとは限りません、だからこそ僕だけでなく他の方が考える自由、それに必要な考え方、スキルも学べる場としますし、それでも解決しない場合はいつでも相談でき、一緒にどうすれば良いかを考える環境を用意しています。

一長一短で自由にはなれない。一人の力だけでもなかなか難しいかもしれない。だからこそ、同じように自由を目指す人同士で知見を共有し合い、自由を目指せる場所があれば良いなと思ったのがサブスクールを立ち上げた一番の想いとなります。

具体的なコンテンツ例

少しだけサブスクールで扱っている具体的なコンテンツについても紹介させてください。

この記事でも書かせてもらった「自責」「他責」の話です。これは捉え方次第で、ABC理論というものがあります。

起こった出来事に対して、それをどう受け取るか次第で、その後の感情や行動が変わるという理論です。

何かを失敗したときに、上司の指示に従ったからと捉えた人と、自分のプランに落ち度があったと捉える人とでは、その後の行動が変わるわけです。

ほとんど同じ環境で育った同級生、兄弟、でも生き方が全く異なってくる一つに、この受け取り方の違いがあります。そして、それが行動として現れ、結果違う道となる。

何が正解とかではなく、あなたがどうなりたいか。そこに向かうための捉え方をしているのかが重要で、受け取り方を変えさえすれば、自ずと行動も変わるよ、というのを動画を通じ発信しました。

これはあくまで一部でしか無いですが、このように自由を得るために必要と考える考え方やスキルを、各講師が発信していく。それを、いつでもどこでも見れるのがサブスクールになります。

おわりに

自由とは、そう簡単では無いです。だけど、少し自由度が増すだけで見える景色は全然違います。

ちょっとずつ、ちょっとずつ自由度を上げ人生100年時代を楽しみたい、それが僕の願いです。サブスクールを通じて、同じように自由な生活を夢見る人の手助けに少しでもなれば嬉しいなと思っています。

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