『与える』を真剣に考え続けた2年間。自己の拡張こそ与えるの本質である。

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資産管理アプリnukumoを2020年9月1日にクローズしました。
クローズから1年経とうとする今、nukumoを通じて学んだことをしっかりと書き留めておこうと思い記事にしました。

※ 一般社団法人nukumoはしっかりと活動しています。あくまでnukumoという最初に作った事業をクローズしただけです。現在の活動中の事業は是非コーポレートサイトを確認してくれると嬉しいです。


2018年8月にリリースしてから2年、完全招待制で地道にユーザーを獲得してきたnukumoは200名以上の方にご利用頂きました。「もったいないを減らす社会へ」をテーマに個人の持っている資産を管理でき、その中から利用していない資産を信頼できる友人と共有できるアプリには300近い資産が登録されました。このアプリを通じて、僕自身も多くの恩恵を受け、多少なりとも僕の『与える』行為が誰かの助けになったのかなと思います。

相方あきとと出会い様々な社会課題について話し合い、これだ!この精神が社会にとって必要不可欠だと確信して起業した、想い出が山ほど詰まったnukumoのクローズに寂しさを抱いているのは事実です。ただ、このアプリがあったからこそ「Giveの精神」を持った素敵な方々に出会えました。そして今、資産管理アプリnukumoがあったからこその学びを活かし新しく事業を展開し、一人でも多くの人に「一つの生き方としてnukumoな世界観(nukumo style)」を提示していきたい、と日々前を向いて一歩一歩精進しています。

この記事では、nukumoをやったからこそ感じる『与える』行為の素晴らしさ、そして一体『与える』とは何なのか、僕の考えをまとめました。最後までお付き合いいただけると幸いです。

信頼できる間柄でならGiveの循環は生まれる

まずは、クローズした資産管理アプリnukumoについて説明することで、nukumoが考える『与える』行為の背景を考えてみます。


このアプリの肝は他者と資産を共有することにありました。そして誰かが一方的に共有し続けるだけでなく、共有して共有される関係性(Give & Given)を構築しないと持続性がないと考えました。すなわち、アプリを利用する全ての人が「他者と資産を共有しても良い」と思えるような作りになっている必要があります。

与えれる幅を広くする

過去の自分を振り返り、誰になら与えることができるか考えてみました。
一人一人名前を挙げて共通点を探してみる。もちろん、Giveする内容によっても話は変わってくるので、自分にとって大切なもの(高価なもの、誰かにもらった思い出のもの、など)を想定して考えました。ちょっと皆さんも考えてみてください。

僕の結論は「信頼できる相手」であるでした。
大切なものなんだだけど、今は使ってない。すなわち、今後は使う可能性がある。そうすると、壊されると当然困ります。なので、丁寧に使ってくれるだろうという信頼が必要です。または、仮に壊されても弁償してくれるだろうという信頼も与える上で大きな安心感となります。どういう信頼が必要かはなかなか言語化は難しいところですが、とにかく、そうした信頼を抱ける相手ではないと与える気にはなりません。

いらないものであれば、わりかし誰にでもあげることはできます。でも、「自分にとって大切だけど今は使ってないもの」を貸すとなると信頼できる相手に限られる、というのが僕らの結論でした。nukumoアプリでは、単にもったいないを減らすだけでなく、生活水準を落とすことなく生活コストを下げたいとも思っていたので、不要なものだけでなく自分にとって必要なものも与える対象となることが望ましかったです。

こうした経緯から、いらないものだけでなく自分にとって必要なものも他者と共有してもよいと思える仕組みになっているかに十分に気をつけてアプリを設計しました。

インターンの一日 in ニュージーランド

インターン生のふーみんが作成してくれたNZでの1日、僕らがどんな雰囲気でアプリ制作に取り組んでいたのか穏やかな雰囲気が伝わると思います。良き思い出です。

完全招待制

どうやって信頼を担保するか、シェアリングエコノミーのサービスに多くあるのはレビュー制度。食べログの星5中星3つといった機能ですね。

この選択肢は特に深く考えることもなく直ぐに候補から消しました。現代社会において、僕らは何かを評価するとき、主観性が薄れており相対的な評価をあたかも自分の主観評価として捉える傾向が強いことに大きな危惧を抱いていたからです。例えば、食べログの評価が1であっても自分にとって好きなお店であれば、他者の目線を必要以上に気にする必要はないはずです。ただ残念ながら、主観的評価よりも相対的評価を意識することは日常でとても多くなっており、nukumoが作りたい世界観とは合いませんでした。僕らは「自分が信頼できる人たち」とシェアを通じて、小さくても良いので共に分かち合いながら生きれる経済圏を個々が選択できる社会を作りたい。そして、そうした社会では相対的評価よりも主観的な評価に重きをおいたがよいと考えています。

もちろん、レビュー制度を批判しているわけではありません。食べログは便利だし、レビューも知らないお店に行くにはとても便利です。ただ、僕らが作る社会は既に信頼関係を構築した間柄での経済の構築であり、そこに相対的評価は必要ないと考えた、というだけの話です。

では、どうやってnukumoアプリでは利用者同士の信頼を担保していたか。

  1. 完全招待制
  2. 共有相手はフォロー式
  3. 他者の共有情報は非公開

まず、nukumoアプリは完全招待制です。一定の条件(資産の共有数〇〇件以上、など)を満たすと誰かを招待できる権利を得れます。そして招待した相手には自分がアプリ上にアップロードして共有設定を行っている資産が共有されます。しかし、招待者の資産が自分に共有されるかは完全に相手次第です。Twitterでいうフォローのような機能があり、基本的にフォローした相手にしか資産は共有されません。すなわち、誰かを招待するというのは、この資産あなたに共有するよっていう完全なるGiveであり、何かリターンを期待できるものではありません。こうなると、信頼できない人を招待することはないですよね?自分はシェアするけど、相手からされるかは不明。その状態でシェアできる相手は本当に信頼の置ける相手だけだと思います。このルールのもと、僕とあきとの二人から招待が始まり結果として200名以上の利用者まで拡大。決してアプリ内で活発な動きがあったとは言えませんが、少なくともインセンティブ設計を徹底的に排除したアプリにおいて、これだけの人の手元に届いたことは正直に嬉しいです。

また、主観的な評価に重きをおくために、他者が誰に共有しているかという情報は非公開にしました。またTwitterで例えると、自分のフォロワーを見ることができないし、他者のフォロワーも見ることもできません。できるのは自分が資産を共有したい相手を選ぶことだけ。なので、ユーザーとしての動機としては、ただただ自分の資産を信頼できる相手に与えたい(Giveしたい)と思う時に使うであり、決して誰かにGiveを求めるものではありません。最後の最後まで、ほしいものリストを作るかは悩みましたが、それも機能として追加することはありませんでした。あくまで、人の与えたいというGiveの精神を最後まで信じることにしました。

nukumoアプリが産んだ素敵なエピソード

完全招待制、インセンティブ設計なし、そんな世にあるサービスでは聞いたこともないような設計をしたnukumoアプリですが面白い現象はたくさん見られました。人に与えるという行為が如何に素晴らしいか、本当に心温まるエピソードが山ほど生まれました。

nukumoアプリでは、資産に対して思い出や感謝を書くことができます。相方のあきとはニュージーランド生まれ育ちで英語がネイティブなわけですが、彼は英語翻訳の資産を共有していました。すると、ニュージーランドにワーキングホリデーに行っていた男性が毎日日記を英語で投稿して、それにあきとがレビューするという流れが生まれたり、僕の大学の後輩が英語の論文で苦労していたのを助けてあげたり、あきとは優しいので別にnukumoアプリがなくても頼まれたら助けてあげたと思います。でも毎日日記を投稿したり、英語論文にアドバイスをもらったりを頼むのはなかなか難しいこと。それは、アプリを通じてあきとが英語で困ったら何でも言ってという形で共有していたからこそ、生まれた交流だと思います。ここで重要なのは、あきとにとって英語はネイティブであり、日記を読むのはすぐだし、論文にアドバイスするのも専門用語が多いものでなければそんなに時間がかかりません。共有する側からすると少しの時間だし自分にとってはなんてないスキルだけど、共有される側からするととてもありがたい資産。そうしたやりとりが他にもたくさんありました。

僕がシェアした資産でいうと、夫婦がミラーレスカメラを使ってくれて生まれたストーリーが何よりも心地よく、とても嬉しかったです。夫婦で旅行に行くけどカメラを持ってないので、僕が共有しているカメラの資産を見て借りたいと連絡が来ました。そして、それを使って色んな思い出の写真を撮影したそうです。帰ってきたカメラには、思い出の写真の一部も残っており、とても微笑ましかったのは今でもはっきりと覚えています。その後、夫婦はミラーレスのカメラを買ったそうです。同じことがインターン生もあって、彼女もニュージーランドにインターンしに来た際にカメラを貸していると、散歩に行っては写真をとる日々。そして今では自分でカメラを買って、彼女のインスタは素敵な写真ばかり。カメラのような高価なものの購入は失敗したくない。そんなときに誰かのカメラを借りて体験して、好きになって、そして自分で欲しいカメラを調べて買う。とても素敵なことだなって思いました。日常でも経験したことある人はいるんじゃないですかね?nukumoアプリがあることで、こうした機会がないときと比べて格段に増えたと思っています。

クローズの理由

そんな素敵な動きがたくさんあったnukumoアプリですが、もちろんクローズの決断をしたからには、上手くいかなかったことがあります。大きなクローズ理由は3つです。

  1. 利用者の物理的な距離の壁が厚い
  2. アプリの開発速度が圧倒的に遅い
  3. 小さなコミュニティの積み重ねに時間がかかる

信頼できる相手って必ずしも近くにいるとは限りませんよね。就職、結婚、いろんな理由でみんなバラバラになります。物理的に距離があると、共有したくても送料がかかってしまいます。そこまでして共有するかというと、なかなか厳しいので物流部分でのアイデアが必要でした。そのアイデアとして、nukumo boxがあったわけけですが、これはオフィスの使ってない棚等を使って自由にモノのシェアができる仕組みを構築するアイデアです。毎日訪れる場所であれば、通勤ついでに本を持って行ったり、とモノを運ぶハードルが下がると考えました。

具体的に話も進め、いくつかの企業様に興味を持っていただきました。しかしながら、しっかりとnukumo boxを広めるには様々な機能のアップデートが必要になり、ほぼ僕一人で開発をしている現状では膨大な時間がかかると考えました。nukumoアプリでは稼がず人のGiveの精神で成り立たせたいという思いも強くお金を使って優秀なエンジニアにヘルプを要請することもできなければ、無償で手伝ってくれる仲間を集めれるほど残念ながら僕らに力や魅力はまだありませんでした。

これだけが理由なら、他の事業で稼いでっという選択肢も取れました。しかし、nukumoアプリの成長(より正確にはnukumoアプリが大切にした精神の醸成)には「小さなコミュニティの積み重ね」が必要不可欠だと感じたため、他の事業で稼いだお金をnukumoアプリへ、という選択は取らずクローズすることにしました。

「信頼をベースにしている」「物理的な距離があると共有は起きにくい」こうした特性を考えると、小さなコミュニティでしっかりと共有の循環を作り、そのコミュニティが一つずつ増えていく、そしてコミュニティ間でも共有が起きる、こうやって一つ一つ拡大していくことがnukumoな社会を作る上で必要不可欠だと結論づいたとき、僕の気持ちはマス向け(完全招待制とはいえ、招待されれば誰でも使える)なnukumoアプリよりも、僕らが信頼している人を集めたGiverな集団であるnukumo cityでしっかりと文化を作り、nukumoな社会を築く上で必要な「小さなコミュニティの積み重ね」の一つのコミュニティとして確立させたいと強く思うようになりました。まずは、僕らがしっかりと手の届く大切な人たちと文化を作り、経済を作り、nukumoのビジョンである「ありのままを表現ができる」状態をnukumo cityの住民と作る。そこだけに集中したい。それがnukumoアプリをクローズする一番大きな理由になります。

そして、nukumo cityで文化ができ、経済ができた次のステップも常に頭にはあり、そのときには今の形からは変わっていると思いますが、nukumoアプリの精神を受け継いだ新たなサービスが生まれます。それまでは地に足をつけ、目の前のコミュニティに全力を注ぎます。

今は、そのnukumo cityもある程度形になってきったので、新しくnukumoを通じて得た知見を共有するためオンラインスクール事業を始めました。こちらはまた追々詳細記事書きます。

与えるの本質

nukumoアプリはさまざまな仮説のもと設計されたGiverのためのアプリであり、その経験のおかげで、僕の中ではある程度『与える』ことの本質はこれじゃないかっていうのが見えてきました。『与えるとは何か』恐縮ですが、僕の考えを書いていきます。

与えるとは何ですか?

この問いを日々しているわけですが、僕の回答は「自己拡張に必要な行為」です。
人によって意見が分かれるのは重々承知ですが、僕は人間という生物は自己中心的であり本質的には自分自身のためにしか行動できない生き物だと思っています。与えるとは真逆なことのように感じるかもしれませんが、これが僕が考える与えるの本質です。これから解説していきたいと思います。

自己犠牲のGiveは自分を苦しめる

アダムグラントのGive & Takeという本はご存知でしょうか。彼によると人間は3つのタイプに分けることができます。

  • 人に惜しみなく与える人 Giver(ギバー)
  • 損得のバランスを考える人 Matcher(マッチャー)
  • 真っ先に自分の利益を優先させる人 Taker(テイカー)

この本でもっとも興味深いのは、成功者に多いのはGiverであり、失敗者に多いのもGiverである、という解説です。
そして、成功者と失敗者の違いは「自己犠牲を行うかいなか」です。自己犠牲を行うGiverは失敗し、自己犠牲をしないGiverは成功する。

nukumoの活動をはじめ、本当に多くのGiverに出会いました。本当に心優しく、誰かのために行動できる彼らは本当に素敵です。ただ残念なことに、自分にゆとりがないにも関わらず与える行為を行い結果として自分を苦しめてしまっている人もいます。自己犠牲の伴う与える行為は、最初は誰かのためだったにも関わらず気づいたら自分自身を苦しむことになります。

このことに気づいて以降は、nukumoのあらゆる事業において「自己犠牲の伴うGive」が発生しないように細心の注意をしています。与える行為で社会が循環するためには冒頭に書いた通り「共有して共有される(Give&Given)」が必要であり、そのためにも持続的にGiveが起き続ける必要があります。

自分のできる範囲、無理のない範囲で与える。これが「与える行為の本質」を考えるうえで、まず押さえるべきポイントだと考えます。

信頼は共通の目的意識のもと芽生える

どういう関係性で与える行為が起きるのか。
与えるといっても何を与えるかで話は変わってくるので、この問いの答えを明確に表現するのは非常に難しいです。

少なくともnukumoが目指す社会では、自分にとって大切なものであっても与えあえる関係性が求められます。その関係性において信頼がとても重要なことは簡単に想像できますが、果たしてどうすれば、そのような信頼関係は築けるのでしょうか。

僕の答えは「信頼は共通の目的意識のもと芽生える」です。
ここでは、「裏切らない」「真摯に行動する」などは信頼関係を築く上で当然だと思われるものは前提としてお話ししていきます。

様々な与える行為を見てきた中で感じたのは、与える行為には何かしらの理由があるということです。
この与える行為により与えた人が救われる、幸せになる、など、その理由は多岐に渡りますが理由もなく与えることはしません。与える行為の先に、何かポジティブな未来が想像できるから与えるわけです。すなわち、自分の与える行為により、相手に何かポジティブな側面を提供でき、相手もそれを望んでいると考えた場合に与える行為ができるわけです。

これは必ずしも意識的に行っているとは限らず無意識的に行っていることも多々あります。
どちらにしろ、自分の行為が相手にポジティブな影響を与えれると思えるから与えるという行為を取れるわけです。

逆に言うと自分の行為が相手にポジティブな影響を与えれるか不透明だと与えることはなかなかできません。
すなわち、相手が何に対して価値を感じるのか、そこに自分自身が共感するのかが重要になります。共通の価値感を抱いている相手には、とても信頼を抱きやすいし、結果与える行為もしやすくなる。

与える行為を行う相手が多くいるかどうかは、どれだけ自分の価値観を共有し、そこに共感している人がいるかどうかに限ります。
信頼関係を築くためには、まず目的意識を共有することが第一歩となります。

自己拡張こそ与える本質である

与える行為を説明する上で本質的な要素は以下だと考えます。

  • 人間は本質的に自己中心的である
  • 自己犠牲の伴う与える行為は長続きしない
  • 共通の目的意識のもと信頼は構築される

誰かのために与えるのではなく自分のために与える、自分の幸福度を増大させるために与えると考えると様々なことの辻褄が合うように感じます。
全ての行為は裏返せば自分のためと言い換えれます。子供を育てるのは子供が幸せになる姿が見たいから。街中で困った人を助けるのは見て見ぬ振りする自分が気味悪いから。捻くれている発想かもしれませんが、僕はむしろ全て自分のためと割り切ったが物事を正しく認識できるし素直に行動できると思っています。

重要なのは、その自分の概念に他者を含めれるか。
子供が幸せになることが自分の幸せ、と思えれば自分の概念に子供も含まれ子供のため(子供の幸せを願う自分のため)にも必死に生きるでしょう。

自分のためにならない行為(自己犠牲の伴う行為)は、時間の経過と共にどんどん疲弊していきます。
自分のためにならない目的(共通ではない目的意識)のために、時間を割くのは気が引けます。

与えるとは、共通の目的があり自分も他者も目的が達成される範囲で行う行為であり、その範囲を超えたものは持続性がなく一過性のものとなってしまいます。
それでは自己満でしかなく相手のためにはならないし、時には自分自身を傷つてしまいます。

共通の目的のために行う自己犠牲が伴わない与える行為は、自分を拡張してくれる、とても素敵な行為です。
他者との与える行為の循環の中には、決して一人では経験のできない何とも表現できないぬくもりがあります。

与えるとは、自分自身を拡張してくれる行為である

が長年考え続けた僕の結論です。

おわりに

資本主義社会では、与える代わりに見返りを求める性質があります。それ自体に大きな問題はないと思います。問題なのは短期的な視点なこと。

与えた行為に対して期待するリターンの時間軸を今に設定する必要はなく、1年後でも、10年後でも、30年後でも良い。今に執着せず、ゆとりがあるなら自分の知恵や資産を与える。与えられた人は、そのおかげで「ありのままの自分」で入れる。その人がまた次の誰かに与える。そうこうしているうちに、自分にも何かしらのリターンがある。

こういうことが自然とできる人は、与える行為をとった瞬間にリターンを期待していません。でも自然とその人の周りには多くの価値が集まってきます。それが人間の心理だと信じています。

自己というものに他者が一人、二人と追加され、彼らのためにも行動したくなる。
そういう人が一人でも増えていくと社会はどんどん良い方向へと変わっていく。nukumoは「ぬくもり」が由来ですが、生きている中で「与える行為」にこそ僕は最も「ぬくもり」を感じます。

精神論とか宗教とか、そういう話ではなく、これが本質なんだと気づかせてくれた資産管理アプリnukumoと、その利用者に心から感謝します。
そして、「ありのままを表現できる社会」を目指して、これからも本質を見失わず「nukumo」は走り続けます。

長文をここまで読んでくださりありがとうございました。
最後にnukumo cityの住民が考える「与える」について動画を掲載して終わりにします。

nukumo cityの住民の考える『与える』とは

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