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OGURIN.com

1992年8月9日、福岡県生まれ。
一般社団法人nukumo代表理事。

直感を信じて、論理で支える──僕の選択のつくりかた

公開日: 2025/5/18

こんにちは、おぐりんです。

今回は「直感と論理」について、自分の感覚を通して書いてみたいと思います。

私たちは日々、何かを選択し続けています。企画を立てるとき、誰かにフィードバックをするとき、人生の岐路に立ったとき──その瞬間、私たちの中で最初に動くのは「直感」なのか、「論理」なのか。

このテーマは、単に“感覚派か思考派か”という二択ではなく、「どう使い分けているか」「どう補い合っているか」という、もっとグラデーションのある問いだと感じています。


直感と論理は、対立しない

私自身、企画や対話の場では論理的に思考し、発言することが多いタイプです。会議ではデータや背景を整理し、構造的に話すことが求められる場面が多くあります。

ただ、よくよく振り返ってみると、実はその“はじめの一歩”は、たいてい直感なんですよね。

「これ、やったほうがいい気がする」
「たぶんこの人とはうまくいく」

その最初の火種を、あとから論理で組み立て、他者に伝えられる形に整えている感覚。
つまり──

直感は“起点”であり、論理は“翻訳手段”

直感に動かされているけれど、論理でそれを他人と共有し、社会と接続している。

そんなバランスの中で、私は日々の選択をしています。


直感は、経験と知識の“瞬間的な融合”

直感って、根拠がないようで実はあるんですよね。

「この人、なんか怪しい」
「この空間、居心地がいい」

──そう感じるとき、私たちは言語化していないだけで、過去の体験や情報、無意識の判断を総動員している。

だから、直感が当たることって多いし、私自身もそれを信じて動いてきた場面は少なくありません。

ただし──

それを他者に共有し、共に動いてもらうには“説明”が必要です。

仲間を巻き込む、上司を説得する、顧客を納得させる──どんな場面でも、直感を“正しく届かせる”には論理が必要になる。

それは、“直感を正当化するため”ではなく、「伝えるための努力」なんだと思います。


論理に頼りすぎて、失ったもの

一方で、論理に偏ってしまって失敗した経験もあります。

大学時代にインターン先のメンターから、こんな言葉をかけられたことがありました。

「自分の話は感情で語るのに、人の話には論理で返しているよね」

これは痛烈でした。

自分では“相手を理解しようとしている”つもりだったけれど、
実際は、“受け止めていなかった”のかもしれない。

「相手の話を感情で受け止めることも、大切だよ」と言われたその言葉は、今でも心に残っています。

それ以来、「論理で評価する前に、まず共感する」という姿勢を意識するようになりました。


自分の“軸”は、直感にある

そうやって試行錯誤を繰り返してきた今、あらためて思うのは──

自分の中にある“軸”は、やっぱり直感だということ。

私は、自分の直感を信じたいし、大切にしたいと思っています。

もちろん、論理的に考える力はとても重要です。

だからこそ、情報を集め、調べ、検証し、他者と共有するスキルは磨いてきました。
でも最終的に「やる/やらない」を決めるとき、
「信じる/信じない」を選ぶとき、私が拠り所にしているのは──

“感情を伴った、瞬間的な確信”=直感 です。

論理は、それを後押しする地図であり、道具であり、通訳なのだと思います。


まとめ:「直感で決め、論理で届ける」

私はこれからも、自分の直感に耳を澄ませていきたい。
そして、それを周囲に伝えるために、論理の力を借りていきたい。

直感は、“自分を動かす力”。
論理は、“他者とつながるための力”。

このふたつをどちらかに寄せるのではなく、
両方の“役割”を理解して、場面ごとに最適なバランスで使っていくこと。

それが、私にとっての「選択のしかた」なのだと思います。

そして何より──

どんなに論理を尽くしても、
「やっぱり、こっちだな」と思える直感の強さがある限り、
私はきっと、それを信じて進んでいくと思います。

本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です

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