こんにちは、おぐりんです。今回は「直感と論理」について、自分の感覚を通して書いてみたいと思います。私たちは日々、何かを選択し続けています。企画を立てるとき、誰かにフィードバックをするとき、人生の岐路に立ったとき──その瞬間、私たちの中で最初に動くのは「直感」なのか、「論理」なのか。このテーマは、単に“感覚派か思考派か”という二択ではなく、「どう使い分けているか」「どう補い合っているか」という、もっとグラデーションのある問いだと感じています。直感と論理は、対立しない私自身、企画や対話の場では論理的に思考し、発言することが多いタイプです。会議ではデータや背景を整理し、構造的に話すことが求められる場面が多くあります。ただ、よくよく振り返ってみると、実はその“はじめの一歩”は、たいてい直感なんですよね。「これ、やったほうがいい気がする」「たぶんこの人とはうまくいく」その最初の火種を、あとから論理で組み立て、他者に伝えられる形に整えている感覚。つまり──直感は“起点”であり、論理は“翻訳手段”。直感に動かされているけれど、論理でそれを他人と共有し、社会と接続している。そんなバランスの中で、私は日々の選択をしています。直感は、経験と知識の“瞬間的な融合”直感って、根拠がないようで実はあるんですよね。「この人、なんか怪しい」「この空間、居心地がいい」──そう感じるとき、私たちは言語化していないだけで、過去の体験や情報、無意識の判断を総動員している。だから、直感が当たることって多いし、私自身もそれを信じて動いてきた場面は少なくありません。ただし──それを他者に共有し、共に動いてもらうには“説明”が必要です。仲間を巻き込む、上司を説得する、顧客を納得させる──どんな場面でも、直感を“正しく届かせる”には論理が必要になる。それは、“直感を正当化するため”ではなく、「伝えるための努力」なんだと思います。論理に頼りすぎて、失ったもの一方で、論理に偏ってしまって失敗した経験もあります。大学時代にインターン先のメンターから、こんな言葉をかけられたことがありました。「自分の話は感情で語るのに、人の話には論理で返しているよね」これは痛烈でした。自分では“相手を理解しようとしている”つもりだったけれど、実際は、“受け止めていなかった”のかもしれない。「相手の話を感情で受け止めることも、大切だよ」と言われたその言葉は、今でも心に残っています。それ以来、「論理で評価する前に、まず共感する」という姿勢を意識するようになりました。自分の“軸”は、直感にあるそうやって試行錯誤を繰り返してきた今、あらためて思うのは──自分の中にある“軸”は、やっぱり直感だということ。私は、自分の直感を信じたいし、大切にしたいと思っています。もちろん、論理的に考える力はとても重要です。だからこそ、情報を集め、調べ、検証し、他者と共有するスキルは磨いてきました。でも最終的に「やる/やらない」を決めるとき、「信じる/信じない」を選ぶとき、私が拠り所にしているのは──“感情を伴った、瞬間的な確信”=直感 です。論理は、それを後押しする地図であり、道具であり、通訳なのだと思います。まとめ:「直感で決め、論理で届ける」私はこれからも、自分の直感に耳を澄ませていきたい。そして、それを周囲に伝えるために、論理の力を借りていきたい。直感は、“自分を動かす力”。論理は、“他者とつながるための力”。このふたつをどちらかに寄せるのではなく、両方の“役割”を理解して、場面ごとに最適なバランスで使っていくこと。それが、私にとっての「選択のしかた」なのだと思います。そして何より──どんなに論理を尽くしても、「やっぱり、こっちだな」と思える直感の強さがある限り、私はきっと、それを信じて進んでいくと思います。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です