こんにちは、おぐりんです。今回は、「肩書きではなく、名前で勝負しろ」という言葉を、いま一度本気で問い直してみたいと思います。この言葉は、どこかで聞いたことがあるかもしれません。けれど、僕はこの言葉を「かっこいい理想論」では終わらせたくないのです。今の時代、本当にこの姿勢が問われている。そしてそれは、誰にとっても避けられない現実になってきていると感じています。肩書きに頼る時代の終わり僕もかつては、肩書きに守られていました。Yahoo! JAPANという大きな組織にいたときは、「Yahoo!の尾倉さん」というだけで、信頼されたり、会ってもらえたりすることが当たり前でした。学生の頃もそうです。「大学生です」と言うだけで、多くの大人が話を聞いてくれました。いわゆる“若者代表”的なポジションで、さまざまな機会をいただきました。でも、肩書きはいつか必ず外れます。そして外れた瞬間に、残るのは“名前”だけです。そのときに、自分の名前にどれだけの意味があるのか──僕はこの問いに何度も立ち返ってきました。名前で勝負しなければならない理由名前で勝負するとは、「誰の看板も借りずに、自分という存在そのものが信頼されること」だと思います。会社の名刺もなく、〇〇代表というタイトルもない。それでも「あなたと一緒に仕事がしたい」「あなたの言葉に耳を傾けたい」と言ってもらえる。これは一見理想的な話に見えるかもしれません。でも、社会が変わっていく今、この力がなければ生き残れない場面が確実に増えていくと思います。「名前で信頼される」というのは、単なる選択肢ではなく、生き残るための“最低ライン”になってきている。名前で勝負するという責任と自由名前で勝負するということは、逃げ道がないということです。何かうまくいかないとき、肩書きのせいにできません。「会社の方針で」とも言えません。すべての責任が、自分の人格、姿勢、言葉、信頼に降りかかってきます。でも、これは同時にものすごく自由な生き方でもあると思うんです。どこにいても価値を生み出せるどんな場にいても信頼を築ける自分の言葉が、自分の名刺になるこの生き方ができる人は、肩書きや組織に依存せず、どこでも通用する“信用の土台”を持っている人です。僕が名前で勝負するために意識していることじゃあ、名前で勝負するために何をすればいいのか? 僕自身が意識しているのは、こんなことです:小さな信頼を積み重ねる(返信を丁寧にする、約束を守るなど)自分の思想や価値観を日常の言葉で表現し続ける誰かに選ばれたとき、全力で応える背景に“組織”があるときも、必ず“自分の顔”で語る要するに、“この人にまた頼みたい”“この人とまた話したい”と思ってもらえるかどうか。それを地道に繰り返していくこと。そして気づけば、名刺を見せなくても「尾倉さんにお願いしたい」と言われるようになる。これが“名前で勝負する”ということだと、僕は信じています。最後に──名前で生きるしかない時代にもし今、肩書きに守られている実感があるなら、その力をフル活用すればいい。でも、同時にそれがなくなったとき、自分の名前だけで何ができるか? その問いを、自分に投げ続けてほしいと思います。社会の信用構造が変わるなかで、個人の名前で生きる覚悟がますます求められていく──それはしんどい。でも、逃げられない。だからこそ、僕は“名前で勝負しなければならない”と思うのです。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です