こんにちは、おぐりんです。子どもにAIは何歳から許すべきか?この問いを投げかけたとき、あなたはどう感じますか?いまや検索よりもChatGPTに相談する子もいる時代。宿題も、作文も、人生相談も──AIを活用することで、子どもたちの学びの景色は急速に変わろうとしています。でも、私たち大人はその変化に、どう向き合っていけばいいのでしょうか?AIで育たなくなる力は、本当にあるのか?よく「AIに頼ると考えなくなる」と言われます。でも私は、AIがあっても考えることはできると思っています。むしろ、「AIに頼ったら思考が育たない」と決めつけること自体、大人の逃げなんじゃないかとさえ感じます。本質は、“AIに頼るかどうか”ではなく、“どんな問いを与えるか”なんです。AIを使えば宿題が早く終わる。でも、その先に「なぜそう思った?」「それでどう感じた?」と問いかける大人がいるかどうか。AIを触らせることが問題なのではなく、思考の深掘りを支える環境があるかがすべてだと思います。AIと人、それぞれの対話が育てるものAIと話すのは簡単です。いつでも、何でも聞けるし、怒られない。でも、人との対話には感情の機微があります。間がある。誤解もあれば、気まずさもある。その“ややこしさ”が、人間関係を育てる土壌だと思うんです。だから私は、AIに触れることと、人と対話することを切り離して考えたい。どちらも必要。AIがあるからこそ、現実の人間関係で起きた葛藤や学びを、AIを通して振り返ることだってできる。要は、大人がその“循環の場”をどれだけ用意できるかなんです。正解よりも、“問い”を手渡す時代へAIがいれば、たいていのことは答えてくれます。調べ物も、文章も、要約も。つまり、大人が“正解を教える”時代は終わりつつあるのかもしれません。じゃあ、私たち大人に何ができるか?それは問いを投げること。そして共に悩むこと。「僕はこう思う。あなたはどう?」と、価値観を押し付けずに対話していく。私はずっと、「教えて育てる」のではなく、「共に育つ」のが教育だと考えています。子どもと一緒に迷い、一緒に考え、一緒にアップデートしていく。それが、AI時代の“教育のかたち”なんじゃないでしょうか。子どもたちと、どんな未来を育てたいかAIが前提の社会を、子どもたちは生きていきます。そのとき必要なのは、“AIに使われる力”ではなく、“AIをどう使うかを選ぶ力”。そしてそれは、今の大人たちが問いを恐れず、共に悩む姿を見せられるかにかかっていると思うんです。教育は、もう教えるだけでは成り立ちません。問いを生きる。それこそが、大人にしかできない、たったひとつの“手渡せる力”なのかもしれません。