こんにちは、おぐりんです。「学生起業」という言葉、どこか特別でカッコいい響きがありますよね。でも私にとってそれは“肩書き”ではなく、もっと等身大でリアルな体験でした。華やかなニュースや成功者のストーリーに比べると、地味で泥臭いかもしれません。でも、そこにこそ本当の学びがあるのだと思います。学生起業に感じた違和感と可能性私は大学生の頃、成果報酬型の仕事を通じてお金をいただく経験をしました。アルバイトのように時間を切り売りするのではなく、自分が作ったものに対して対価をいただく。そのときに感じたのは、「視野が一気に広がる」という感覚でした。お金以上に価値があったのは、人との出会いです。学生という枠を超えて、実際に仕事をしている大人たちと出会い、価値観が大きく変わりました。例えば、当時関わった起業家の方々との縁は今でも続いていて、「社会に出るとはどういうことか」を教えてくれる生きた教材のような存在でした。だから私は、「学生だからこそ起業してみる」という挑戦には意味があると思っています。ただし、それは「学生起業」という肩書きがすごいからではありません。“やりたい”という感情を形にすること自体が学びになるからです。肩書きや名刺に書かれる「CEO」の文字ではなく、自分の中で芽生えた動機をどう行動に変えたか。それが本当の意味を持つのだと思います。学生だからこその学びと落とし穴一方で、学生起業には落とし穴もあります。多くの学生が「お金を稼ぐこと」に躍起になりすぎてしまうこと。自分の価値を証明するために、実績や対価に縛られてしまうことです。SNS上で「資金調達しました」「ユーザー◯万人突破」といった報告は確かに目を引きますが、それだけがすべてではありません。本当は、学生の時期だからこそ「お金がなくてもやること」にこそ意味があるのだと思います。私自身、成果報酬は今振り返れば驚くほど安かった。でも、その経験を通じて築いた信頼関係や学びは、金額以上の価値を持ち続けています。そこには「お金」では買えない実感がありました。お金がないとやりたくないことは、学生のうちにやる必要はない。逆に、お金がなくてもやりたいと思えることを本気でやること。それこそが、学生起業が教育的になる瞬間だと思います。たとえうまくいかなくても、「やりきった」という経験は次の挑戦を支える土台になります。「座学」よりも「唐揚げ屋」よくある学生起業サークルでは、「どう起業するか」を座学で学んでいます。でも私は、そこにあまりリアルを感じませんでした。ビジネスプランを発表するだけでは、血肉の通った学びにはなりにくいと感じていたからです。本当に意味があるのは、学祭の唐揚げ屋を“本気でやること”。「絶対に過去一番の売上を出すぞ!」と仲間と挑んでみる。仕入れの工夫、宣伝の仕方、役割分担、そして当日の混乱……たとえ売上が小さくても、その中で信頼を得て、「働くとはこういうことか」を実感できる。これこそが本当の学びだと思います。そして、こうした小さな挑戦は大人になってからも役立ちます。企業に入ったときにチームで動く力、相手の期待に応える力、逆境で工夫する力──どれも唐揚げ屋での“本気”から得られた実感です。学生起業は「教育」ではなく「経験知」私は「学生起業=教育」とは思っていません。全員が経験する必要もありませんし、制度化するものでもないと思います。むしろ“やりたい人がやる”からこそ価値があるのです。ただし、「やりたい」と思ったら飛び込む価値は確かにある。その経験は、たとえ唐揚げ屋でも、本気でやった分だけ信頼と学びになる。その積み重ねが、次のチャンスを呼び込みます。学生起業は肩書きではなく、経験知の積み重ねです。そこから得られるのは「成功」や「実績」ではなく、没頭の中で生まれる自分自身の成長なのかもしれません。やってみて初めてわかる「失敗からの学び」や「小さな成功体験」が、将来に大きな意味を持ちます。あなたにとって、「お金がなくてもやりたいこと」は何ですか?その問いを立てることが、学生起業という言葉の外側にある、本当の価値につながっていくのだと思います。そして、挑戦の大小に関わらず、“本気でやった”という経験があなたの未来を形づくっていくはずです。