こんにちは、おぐりんです。SNSや政治、社会課題にまつわる発信で「炎上」という現象はすっかり日常化しました。でも、どうして私たちはこれほどまでに炎上に巻き込まれ、疲弊してしまうのでしょう?最近の発信や議論を見ている中で、僕なりにひとつの仮説を持つようになりました。それが、「命題のズレ」と「時間軸の歪み」という2つの構造です。この構造を理解すれば、炎上をただの“燃えた事象”ではなく、構造的に起こる現象として捉えることができる。そしてそれは、「納得される命題」をどう設計するか──すなわち命題デザイン論へとつながっていきます。そしてもうひとつ大事なのは、「命題を設計する力」は、政治やSNSだけの話ではないということ。私たちが誰かに何かを伝えたいとき、リーダーシップを発揮したいとき、あるいはちょっとした議論に加わるときにも、命題のズレと時間軸の歪みは常に潜んでいます。つまり、命題デザインは“社会を変える技術”であると同時に、“日常の対話を健全にする技術”でもあるんです。炎上を生む「命題のズレ」と「時間軸の歪み」SNSで誰かが発言し、それに対して反論が殺到する。よくある構図ですが、背景にはこの2つのズレがあります。命題のズレ(Whatの不一致)人はそれぞれ、自分の信じている“命題”──つまり「この問題で問うべきことは何か」という前提を持っています。たとえば、ある発言に対して「これは表現の自由の問題だ」と捉える人もいれば、「これはマイノリティ差別の構造問題だ」と捉える人もいる。どちらが正しいかではなく、何を問うべき問題と見ているかがズレていると、議論はかみ合いません。加えて、評価の尺度もズレます。倫理で測る人、法制度で測る人、感情で測る人。あるいは経済的合理性やスピード感で評価する人もいる。そして、この命題や尺度の不一致に気づかないまま進むと、炎上へと火種が広がっていきます。何を議論しているのかが徐々にずれ、気づけば“別の戦い”になっている。これが炎上の大きな構造的特徴です。時間軸の歪み(Whenの混線)SNSでは、「その発言が行われた文脈」や「発言者の当時の情報レベル」などがどんどん忘れられていきます。速報時点での発言が、後の事実判明後に“断罪”される。時点のズレを無視して「不誠実だ」と責められる。発言が切り取られ、“いま”の基準で再構成される。このように、“情報が出た順番”や“話している時間の視点”がずれていくと、本来の意図や背景が見えなくなり、誤解や対立が拡大していきます。実際、「そのとき言ったことなのか」「あとから分かったことなのか」が混ざって伝えられることで、発言の文脈はどんどん捻じれていきます。この“時間軸の歪み”が起きていることに気づかないと、炎上はどんどん増幅していきます。命題デザインとは「納得を設計すること」ここで、僕が強く思うのは、共感ではなく納得を設計することが重要だということです。共感は“情動”ですが、納得は“構造”です。炎上を避けつつ、支持を集めるためには、命題を論理的に設計する必要があります。それは、「誰のどんな痛みを扱うのか」「どの視点でこの問題を見るのか」「どういった価値基準で評価するのか」を、事前に明示すること。これは、僕が日頃から意識している「意味合わせ」とまさに重なります。「本件の命題は〇〇です。評価軸は□□、前提条件は△△です。」このような“命題のアナウンス”があるだけで、議論の構造はぐっと健全になります。このように構造化して伝えることで、たとえ意見が分かれていても「議論できる状態」が整うんです。そして、実はこの設計力は、職場でも、家庭でも、地域の話し合いでも応用が利くものです。全員合意の幻想ではなく「納得可能域」を狙う政治や社会運動の文脈では、「みんなが納得する命題」は幻想です。むしろ現実的には、「このパーセンテージが納得できる構造」に命題を設計し、その範囲の支持を得ることが求められます。たとえば、選挙で命題設定が上手な政党は、炎上を起こしにくいと感じます。それは命題が明確で、議論の前提が定まっているからです。逆に、命題が曖昧なままだと、抽象的すぎて共感も批判も集まらないか、尖らせた瞬間に炎上しやすくなる。つまり、尖った命題にはリスクと熱狂の両面があるということです。納得されるためには、感情に訴える言葉よりも、「これなら自分も含まれている」と思える構造が必要です。そのために、“納得可能域”をどう設計するか──これが、命題デザインの中核になります。命題とリーダーシップ──方向は固定し、歩き方は柔軟に僕が理想とするのは、明確な方向性を示しながら、歩き方には柔軟性を持つ命題設計です。たとえば、政治的なプロジェクトで「この方向がいいんだ」という矢印を明示する。それがリーダーシップです。でも、表現の方法や、どこからどう歩き出すかは、民意やフィードバックを取り入れて柔軟に調整する。ここに、デジタル民主主義とリーダーシップの融合の可能性があると思っています。方向はリーダーが決める。でも歩き方は民意が決める。そんな命題設計があってもいい。実際、リーダーの役割は「選択肢を示すこと」ではなく、「選択の軸をつくること」だと思っています。その軸が命題です。命題の軸がしっかりしていれば、多少の揺れや批判があっても、チューニングしながら前に進むことができる。そしてそのチューニングの質が、リーダーとしての深さにつながっていきます。まとめ:「共感より納得を設計する」時代へこれからの時代、炎上を恐れるのではなく、構造を理解し、納得を設計する技術を磨くべきだと感じます。命題の明示。尺度の共有。時点のタグづけ。こうした“命題デザイン”を日常的に行うことで、炎上の火種は減らせるし、むしろ建設的な対話が育っていく。共感ではなく、納得を積み上げる構造体。これが、僕が考える「命題を問う技術」の進化形です。そしてこの命題設計の視点は、組織マネジメント、教育、ブランディング、そして家庭の中でも応用可能です。子どもが「宿題やりたくない」と言ったとき、その裏の命題は何か?会議で議論がかみ合わないとき、各自の命題がズレていないか?商品開発のコンセプトが伝わらないとき、命題のアナウンスが不十分なのでは?そんな風に、「命題の視点」で物事を捉えるだけで、会話の質が変わってきます。そして最後に、こう問いたい。あなたが今問うべき命題は何ですか?その問いの設計こそが、次の会話の質を決めていくのだと思います。命題をデザインする力が、炎上を越えて、希望をつくる時代へ。