こんにちは、おぐりんです。「時間がないのではない。やりたいことがないのだ」このラ・ロシュフコーの言葉に、あなたはどう感じますか?一見、ドキッとする名言。でも僕は、この言葉がただの“自己啓発パンチライン”で終わってしまっている場面を、よく目にします。たとえば、「プライベートが大切」と言いながら、それを大切にできるような働き方や暮らし方を本気で考えていない人。週5働いて週末だけ自由な時間を楽しむ──この構造を「当たり前」として受け入れながら、「土日が充実してればOK」と言い聞かせる。でも僕には、そこに違和感があるんです。「プライベートが大事」と言いながら、なぜ行動が伴わないのか?僕の感覚では、「プライベートが大切」という言葉が、むしろ現状を正当化するために使われているように思えることがあります。ほんとうに大切だと思うなら、週5働いて週2休む生活を前提にせず、そのバランスを変える努力をするのが自然じゃないか?と思うんです。たとえば、年収を上げて時間を買う努力をする。あるいは、働く時間自体を減らす選択肢を検討する。でも多くの場合、それは“やらない”ままにされている。なぜか?その背景には、現状バイアスがあるんじゃないかと僕は思っています。現状バイアスは「変化の怖れ」を見えなくする現状バイアスとは、今ある状態を無意識に維持しようとする心理のこと。人は変わることに対して、本能的にブレーキをかける生き物です。今の仕事をやめると収入が不安定になるかもしれない。週の働き方を変えるには、周囲との関係性も見直さなきゃいけないかもしれない。そうした“怖さ”があるから、現状を保ったまま、その中で意味づけし直そうとする。「今のままでいい理由」を、自分でつくってしまう。だからこそ「プライベートが大切」という言葉が、変化を避けるための都合のいいラベルになってしまうことがあるのだと思います。変わりたいなら、“怖れ”に名前をつけることからただ、僕は強制したいわけじゃありません。本人が今のままでいいと思うなら、それも尊重されるべき生き方です。でも、もし「今のままではいやだ」と思っている人がいるなら。その人に伝えたいのは、変化への第一歩は、“怖れ”を言語化することだということです。「収入が減ったらどうしよう」「人からどう思われるだろう」「自分にはその勇気があるのか?」そういう怖れに、一つひとつ名前をつけてみる。頭の中でモヤモヤしていたものが、紙の上に言葉として出てくると、その存在を受け入れやすくなる。そして、それに対処する方法も見えてきます。“壁”の解像度を上げると、選択肢が増えていくたとえば、「お金が不安」という壁があったとして。それを深掘りしてみると、「最低限の生活費はいくらなのか?」「収入が減っても幸せを感じられるのはどんな時か?」など、より具体的な問いが生まれてくる。この「壁の解像度を上げる」作業こそ、現状バイアスを超えていくために必要なことなんじゃないかと思うんです。不安の正体がぼやけていると、ただ怖くて動けない。でも、その怖さに輪郭がつけば、対処の方法が見えてくる。選択肢が増えると、「時間がない」ではなく「何を選ぶか」という問いに変わります。“やりたいこと”に時間を使える人生へ「やりたいことに時間を使えているか?」この問いは、僕たちがどんな価値観を持っているか、どんな生き方を選んでいるかを照らしてくれる鏡のようなものです。時間は、すべての人に平等に与えられているようでいて、その使い方には大きな“差”が出ます。だからこそ、まず問いたい。「自分にとって大切なことは何か?」「本当にそれを大切にするための行動ができているか?」その問いを無視して、「時間がない」と言うのは、ちょっともったいない。大切なものに時間を注げる人生は、選べます。そのためには、まず“現状を正当化している自分”に気づくことから始めてみませんか?