こんにちは、おぐりんです。“私たちは現実よりも想像の中で多く苦しむ。”古代ローマの哲人セネカが残したこの言葉。はじめて読んだとき、思わず「たしかに…」と深くうなずいてしまいました。でも同時に、僕の中に湧き上がったのは、こんな問いでした。「想像」は、本当に“敵”なんだろうか?今日はそんな問いから始めて、僕なりの「想像との向き合い方」について書いてみたいと思います。苦しみの正体は“ギャップ”にある僕は、想像というのは「理想とのギャップ」だと捉えています。たとえば、こんな未来を思い描くことがあります。「もっと影響力を持ちたい」「もっと人に喜ばれる仕事をしたい」「もっと自由に生きたい」でも、ふと現実の自分を見ると、「全然そこに届いてないじゃん……」と落ち込む。この“届いていない感覚”。それこそが、苦しみの源なんじゃないかと思うんです。つまり、想像が悪いのではなく、想像と現実の距離感が苦しみを生む。モチベーションの鍵は“確信の濃度”ただ、理想と現実にギャップがあるからといって、すべての人が苦しむわけではないんですよね。むしろ、そのギャップが“燃える材料”になる人もいる。じゃあその違いはどこにあるのか?僕は、こう考えています。「ゴールに行ける確信」があるかどうか。未来に対して、どこかで「なんとかなる」と思える感覚。たとえ道が見えなくても、自分の中に“進めそうな気がする”という実感があるかどうか。それがモチベーションの源泉になっているんじゃないでしょうか。感情が先にある。成果はあとからついてくる振り返ってみても、起業したばかりの頃は成果なんてゼロでした。それでもテンションが高かったのは、感情や体験の熱量が先にあったから。まだ何も形になっていないけれど、「なんかいけそう」という根拠のない自信。この状態が、僕にとっての“確信”なんだと思います。そしてこれは、他人の一言や、共に走る仲間の存在でも生まれる。人との感情の共鳴によって、「もう少し頑張ってみようかな」と思える瞬間があるんですよね。理想を下げることは、あきらめではないでも、ずっと高い理想を掲げ続けていると、確信が削られていくこともあります。「なんでこんなに苦しいんだろう?」「もう、前に進めないかもしれない…」そんなとき、僕はあえて理想を“少し下げる”ようにしています。「いまの自分にとって、ちょっと背伸びすれば届く理想ってなんだろう?」目標の高さを再設計してみる。そうすると、不思議と「やってみようかな」と思えることがある。つまり、理想を下げることは、手応えを取り戻すための行為。これはあきらめではなく、“再接続”のための選択なんです。想像は敵じゃない。整えれば、味方になるセネカは「想像に苦しむな」と言いました。でも、僕は少し視点を変えて、こう思います。想像は、扱い方次第で味方にもなる。理想を描くことは、自分を未来へ導く力にもなる。ただし、それが“今の自分”と結びついていなければ、むしろ自分を追い詰めてしまう。だからこそ、想像と現実の“距離”を整える技術が必要なんです。たとえば:感情や体験を先に味わって、確信を育てる人とのつながりから、やれる感覚をもらう一度立ち止まって、理想を再設計してみるそんなプロセスを通じて、僕たちは想像の中で苦しむのではなく、想像と共に歩いていけるんじゃないかと思います。「理想を下げる勇気」。それは、想像に飲まれないためのひとつの方法です。