こんにちは、おぐりんです。完璧とはなにか本当に、心から“完璧だ”と思った瞬間ってあっただろうか?サン=テグジュペリの言葉に出会って、そんな問いが立ち上がりました。「完璧とは、付け加えるものがなくなった時ではない。取り除くものがなくなった時に達せられる。」これを初めて読んだとき、「ああ、これは僕の感覚と通じる」と感じました。完璧とは、何かを足していってたどり着くゴールではなく、削って削って、やがて“それしか残らない”という状態。そう聞くと、なんだかすごく静かで、あたたかくて、生命の呼吸みたいなものに思えてくるんです。「完璧」は、シンプルという名の本質学生の頃、数学の公式に“美しさ”を感じたことがありました。複雑な現象が、たった数式ひとつに集約される。それは知識があるほど簡単に見えるわけではなく、「これ以上シンプルにできない」という、ある種の極みに触れたような感覚です。完璧とは、もしかすると「これ以上どうしようもない」状態。余計な飾りもなく、でも何かが確かにそこに宿っている。それが「完璧だ」と思える瞬間なのかもしれません。削ることは、混ぜて引っ張ることただ僕は、「完璧=削ること」だとは言い切れません。感覚的にはもう少し複雑で、それは“混ぜて、引っ張る”ことに近いんです。いろんな体験や情報、人との関わり、感情や思考を混ぜ合わせながら、やがて「これは残したい」と自然に浮かび上がってくるものを掴み取る。それをまた見直して、また混ぜて、また削って──。その繰り返しの中で、「ああ、今はこれが一番生きてるな」と思える瞬間がある。完璧って、完成ではないんですよね。“生きている瞬間”なんです。完璧という言葉を、もう一度定義しなおすだから僕は、あえてこう言いたい。完璧とは、「もうこれ以上何も足さなくていい」と心が静まった一瞬。でも同時に、「まだ変わっていく余白」が残された、今この瞬間のこと。それは、言葉がふっと自分の中に収まったとき、「ああ、これでいい」と思えるその一瞬かもしれません。あるいは、何かを言葉にしようとして試行錯誤して、混ぜて、削って、また混ぜて……そんな思考の往復運動の中にふと現れる“静けさ”かもしれません。どれも静かで、小さくて、でも確かに「生きている」と感じる瞬間です。完璧とは、「これが今の自分だ」と思える瞬間完璧を「正解」や「完成形」として追いかけるのではなく、今の自分にとって、最も濃度の高い一瞬を掬い上げること。そんな風に定義してみたらどうだろう、と思っています。だから完璧って、誰かに評価されるものじゃなくて、「これが今の自分だ」と思える瞬間の手触りなんです。完璧という言葉は、ひとつの状態ではなく、生成と混合と省略のなかから浮かび上がってくる感覚。削って、混ぜて、また削って。言葉も、関係性も、生き方も──その繰り返しの中で、また新しい“完璧”に出会っていきたい。それが僕の、生き方としての完璧観です。