
完璧とは、生きている瞬間のことだ――生成と削除のあいだで見えてくる“本質のシンプルさ”
公開日: 2025/10/19
こんにちは、おぐりんです。
完璧とはなにか
本当に、心から“完璧だ”と思った瞬間ってあっただろうか?
サン=テグジュペリの言葉に出会って、そんな問いが立ち上がりました。
「完璧とは、付け加えるものがなくなった時ではない。取り除くものがなくなった時に達せられる。」
これを初めて読んだとき、「ああ、これは僕の感覚と通じる」と感じました。
完璧とは、何かを足していってたどり着くゴールではなく、削って削って、やがて“それしか残らない”という状態。そう聞くと、なんだかすごく静かで、あたたかくて、生命の呼吸みたいなものに思えてくるんです。
「完璧」は、シンプルという名の本質
学生の頃、数学の公式に“美しさ”を感じたことがありました。
複雑な現象が、たった数式ひとつに集約される。
それは知識があるほど簡単に見えるわけではなく、「これ以上シンプルにできない」という、ある種の極みに触れたような感覚です。
完璧とは、もしかすると「これ以上どうしようもない」状態。余計な飾りもなく、でも何かが確かにそこに宿っている。それが「完璧だ」と思える瞬間なのかもしれません。
削ることは、混ぜて引っ張ること
ただ僕は、「完璧=削ること」だとは言い切れません。
感覚的にはもう少し複雑で、それは“混ぜて、引っ張る”ことに近いんです。
いろんな体験や情報、人との関わり、感情や思考を混ぜ合わせながら、やがて「これは残したい」と自然に浮かび上がってくるものを掴み取る。それをまた見直して、また混ぜて、また削って──。
その繰り返しの中で、「ああ、今はこれが一番生きてるな」と思える瞬間がある。
完璧って、完成ではないんですよね。“生きている瞬間”なんです。
完璧という言葉を、もう一度定義しなおす
だから僕は、あえてこう言いたい。
完璧とは、「もうこれ以上何も足さなくていい」と心が静まった一瞬。
でも同時に、「まだ変わっていく余白」が残された、今この瞬間のこと。
それは、言葉がふっと自分の中に収まったとき、
「ああ、これでいい」と思えるその一瞬かもしれません。
あるいは、何かを言葉にしようとして試行錯誤して、
混ぜて、削って、また混ぜて……
そんな思考の往復運動の中にふと現れる“静けさ”かもしれません。
どれも静かで、小さくて、でも確かに「生きている」と感じる瞬間です。
完璧とは、「これが今の自分だ」と思える瞬間
完璧を「正解」や「完成形」として追いかけるのではなく、
今の自分にとって、最も濃度の高い一瞬を掬い上げること。
そんな風に定義してみたらどうだろう、と思っています。
だから完璧って、誰かに評価されるものじゃなくて、
「これが今の自分だ」と思える瞬間の手触りなんです。
完璧という言葉は、ひとつの状態ではなく、
生成と混合と省略のなかから浮かび上がってくる感覚。
削って、混ぜて、また削って。
言葉も、関係性も、生き方も──
その繰り返しの中で、また新しい“完璧”に出会っていきたい。
それが僕の、生き方としての完璧観です。
