こんにちは、おぐりんです。「Premature optimization is the root of all evil.」──プログラミング界の巨人、ドナルド・クヌース表面的にはエンジニア向けの戒めに見えますが、僕にとってはもっと広い領域に響いてくる言葉なんです。教育、コミュニティ、チーム運営、経営──あらゆる「人が関わる場」には、つい最適化したくなる瞬間があります。でも、最適化は正義ではありません。むしろ「まだ整えない勇気」や「動かしながら考える知性」こそが、本当に創造的な営みには必要なんじゃないかと思うんです。最適化の罠は“早さ”にある僕も元はエンジニアなので、この言葉の重みはよくわかります。最初から完璧に動くコードを書こうとすると、見えていなかった仕様が浮き彫りになり、逆に実装が遅れる。だからこそ、多くの現場では「まず動かす」ことが重要視されます。これは、組織や教育の場でも全く同じです。たとえば授業設計の中で、「ABCDE」という流れを想定して最適化を図っても、実際には「ACDE」だったと判明する。すると、Bにかけた最適化の時間や労力が無意味になる。これは、部分的な最適化が全体像を損なう典型的な例です。つまり、「最適化が悪なのではなく、“時期尚早の最適化”が危うい」のです。「未整理の余白」が生むもの最適化を早くやりたくなる理由は、安心したいからだと思います。形になっていないもの、定まっていないもの、先が見えないもの──それはどうしても不安ですよね。でも、「未整理の余白」には、偶然と発見が宿ります。コミュニティ運営の場でもそうです。制度化や効率化を急ぎすぎると、まだ言語化されていない“人の温度”や“場のゆらぎ”が潰れてしまう。それは、「動的であること」をやめてしまうことでもある。見極めるべき“最適化のタイミング”じゃあ、いつ最適化すべきなのか?これには僕なりに3つの軸があります。1. 費用対効果の軸「今ここで最適化したら、即座に効果が出る」とわかっているなら、迷わずやる。でも、それがまだ見えないなら、根性で手動運転するほうがいい。苦労しながら動かす中でこそ、本当に必要な構造が見えてくる。2. 確信の軸実際に動かしてみて、「この流れならいける」と身体で納得できたときに、初めて構造化する。この“身体知としての納得”は、データや理屈だけでは得られない感覚です。3. 崩壊許容の軸最適化はしても、「いつでも壊していい」前提を持っておく。つまり、“暫定であること”を受け入れておく。最適化を神聖化しないマインドセットが重要です。最適化は呼吸である最適化は、構築ではなく呼吸だと思います。構築という言葉には「完成」のイメージがありますが、呼吸には「反復」「揺らぎ」「調整」がある。動きながら整え、整えながらまた崩す。その循環の中にこそ、創造や教育や組織運営のリアリティがあるのだと思います。僕はこれからも、効率や成果だけじゃなく、「まだ未完成のまま置いておくことの知性」を大事にしていきたい。その中に、命題に出会う瞬間があり、偶然が意味を持ちはじめ、人と人との関係が“構造”を超えて結ばれていく気がするんです。そして何より──未完成だからこそ、今ここに息づく自由がある。