こんにちは、おぐりんです。「問題が起きたら、なぜを5回問え」──この言葉、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。これは、トヨタ生産方式(TPS)を築いた大野耐一さんの言葉。問題の根本原因を突き止めるために、“Why?” を繰り返す。それが改善の第一歩だという考え方です。たしかに、ロジカルに物事を見つめるうえで、「なぜ?」という問いは有効です。でも、最近ふと思うことがあります。「なぜ?」って、けっこうキツくないですか?問いの矢印が、過去を向いている誰かから「なんで?」を連発されると、ちょっと詰められてる気がする。問い詰められているような空気に、思わず心が閉じる。それは僕だけじゃなく、たぶん多くの人が感じていることなんじゃないかと思います。だからこそ思うんです。「なぜ?」は、他人に投げる言葉ではなく、自分にそっと向ける言葉であるべきだと。“なぜを問う”という行為が、本当に意味を持つのは、誰かを責めるときじゃなくて、自分を静かに観察するときじゃないでしょうか。僕にとっての「5回のなぜ」は、責任追及の道具ではありません。むしろ、「内省のための手すり」なんです。形式より、態度(アティチュード)がすべてトヨタの現場でも、「5回のなぜ」が形式だけで使われることの危うさは語られています。大野耐一さん自身も、「学ぶために問う」という姿勢を重視していたそうです。つまり、何を問うかよりも、「どんな態度で問うか」がすべて。僕は「なぜ?」という問いが、無意識に過去へ矢印を向けているように感じます。どこで間違えたのか、何が悪かったのか──。その問いが文化になると、日々の会話が反省と自己否定に染まってしまう。それはちょっと悲しいなと思うんです。問いを“未来志向”に置き換えるじゃあ、どうすればいいのか?僕が意識しているのは、「なぜ?」を「どうしたい?」に変えること。今、どんな気持ち?どんなふうに在りたい?次はどうしてみたい?そんなふうに、自分の内側から湧いてくる感覚に寄り添う問い方に変えると、問いが“観察”や“生成”の営みになる気がしています。これは、教育の現場でも、コミュニティ運営でも、プロダクト開発でも同じです。「なんでうまくいかなかった?」ではなく、「どんな前提があったと思う?」「どんな価値観がそこにあった?」そう問うことで、対話の空気が変わっていくのを感じます。名前を変えると、問いの意味が変わる言葉の力って、すごいなと思うんです。「5回のなぜ」じゃなくてもいい。たとえば僕だったら、5回の余白5回の静けさ5回の違和感そんな名前をつけて、問いの営みそのものをアップデートしてみたくなる。問いの本質は、道具ではなく関係性のあり方だと思います。相手と自分、過去と未来、思考と感情、その間をつなぐ橋のようなもの。だからこそ、その橋は、優しく、しなやかであってほしいのです。おわりに:問いを投げるより、問いを育てる問いには力があります。でもその力は、正しさの武器ではなく、自分自身と静かに向き合う“営み”として使いたい。「なぜ?」の代わりに、どんな言葉を自分に投げかけたいか。その問いの質が、日々の選択の質を変えていく気がします。あなたにとっての「5回の問い」とは、どんな問いですか?今日、静かに問うてみてください。その問いから、次の物語がはじまるかもしれません。