こんにちは、おぐりんです。「伝わったつもり」。この言葉は、僕の中でずっと残り続けているテーマです。以前の僕は、“伝えること”そのものが目的だと思っていました。だから、説明しても理解されないとき、「相手の理解力が足りない」と感じてしまうことが多かった。自分では誠実に伝えているつもりなのに、なぜか誤解されたり、冷たく返されたり。そのたびに「なんでわかってもらえないんだろう」と心の中で呟いていました。けれど、今になって思うのです。あのとき伝わらなかったのは、相手のせいではなく、僕の“伝わり方の設計”が未完成だったからなんだと。言葉の表面だけを磨くのではなく、相手の世界の中でどう意味が立ち上がるか——その構造を考えることが、コミュニケーションには欠かせないのだと気づきました。伝わらないのは、構造の問題だった「伝わったつもり」が起こるのは、誰かの能力のせいではありません。むしろ、“伝達・解釈・関係”という3層構造のズレがあるからです。僕自身、何度もそのズレに直面してきました。言葉のレイヤー:語彙やスピード、背景知識の差によって、同じ言葉でも伝わり方が変わる。解釈のレイヤー:相手が自分の経験や価値観で再構成しようとする段階。ここで意味がすれ違いやすい。関係のレイヤー:信頼や心理的安全性がどれだけあるかによって、受け取る態度や深さが変わる。このどこかが噛み合っていないと、メッセージは途中で止まってしまう。だからこそ、「伝える」よりも「届かせる」構造を設計することが大切だと、今は感じています。言葉を届けるとは、単なる情報伝達ではなく、“相手の理解プロセスをデザインする”ことなんですよね。たとえば会話の中で、相手が少し首をかしげた瞬間。その一瞬をどう捉えるかで、次の言葉は大きく変わります。以前なら「ちゃんと聞いてよ」と思っていたかもしれません。でも今は、「あ、まだ届いていないんだな」と捉え直せるようになった。そう思えるだけで、対話の温度が変わります。平等とは“同じように話すこと”ではないある人に言われた言葉があります。「平等に接するって、みんなに同じように言うことじゃない。それぞれに合わせて伝えることが、本当の平等なんじゃないの?」この一言で、僕の中の常識がひっくり返りました。相手の理解度、性格、価値観、状態はみんな違う。だから、同じ伝え方で届くはずがない。むしろ、それぞれの人に合わせて言葉や距離感を変えることこそが、誠実さなのだと気づいたんです。Aさんには、丁寧な説明が必要かもしれない。Bさんには、直感的な言葉のほうが伝わるかもしれない。子どもに大人のように話すことは、決して平等ではない。相手の世界の言葉で語ることこそ、その人を一人の存在として尊ぶことなんです。以前の僕は、「全員に同じように接すること」が平等だと思っていました。でも今は違う。相手に合わせて伝えることが、むしろ“尊重”であり、“平等”なんだ。そこには、「相手を理解しようとする想像力」と、「自分の軸を保ちながら調整する柔軟さ」が同時に求められます。完全に相手に寄り切るのではなく、あくまで自分の想いの“翻訳”として言葉を選ぶ。これが、僕の考える“優しいコミュニケーション”の形です。届かせるとは、相手の中で意味が芽吹く条件をつくること「伝える」は一方的な行為。でも「届かせる」は、相手の中で意味が芽吹く“場”や“条件”を整えることです。届かせるとは、種を植えるようなもの。どんなに丁寧に言葉を選んでも、相手の心の土壌が整っていなければ芽は出ない。だから、まずは“受け取る準備”を一緒につくることが大切なんです。たとえば、相手が疲れているときには、言葉よりも沈黙のほうが届くことがある。焦って結果を求めるよりも、「今日はここまで話せただけで十分」と手放すことも大事。伝えることを急がず、相手のリズムを尊重する。それが、“届かせる力”につながるのだと思います。だから今は、相手に合わせて言葉を選び、相手の文脈で話し、相手のタイミングで渡す。それが、僕にとっての「平等」であり、“伝わったつもり”を超えるための実践なんだと思います。そして何より大切なのは、相手を「理解できない存在」ではなく、「まだ届いていない存在」として見続けること。そうすることで、僕たちのコミュニケーションは、もっとあたたかく、豊かなものになっていくのだと思います。言葉は、道具であり、橋でもあります。橋は、どちらか一方からだけでは架からない。お互いが少しずつ歩み寄るからこそ、真ん中で出会える。その出会いの瞬間こそが、「伝わった」という奇跡なのだと思います。