
「こう見られたい自分」と「本当の自分」のあいだに、心地よさを探す道のり
公開日: 2025/5/13
こんにちは、おぐりんです。
今回は、「こう見られたい自分」と「本当の自分」のあいだにある“ズレ”について、少し掘り下げてみたいと思います。
人との関係やSNS、仕事の場で、私たちは自然と“見られ方”を意識しますよね。
でも、それが本心とズレるとき、どんな感覚が生まれているのか──今回はそんな問いを通じて、自分の在り方を見つめ直してみます。
見られ方を意識するとき、心がどう動く?
「こう見られたい」という意識は、ビジネスの場や人間関係など、信頼や評価が関わる場所ほど強くなるもの。
私自身も、「少しでもよく見せたい」という気持ちは自然と湧いてきます。
これは自分の印象を良くしたいというより、「つながりを大切にしたい」「信頼されたい」という思いの現れでもあるのかもしれません。
ただ、そこに“本当の自分”とのズレが生まれると、少し苦しくなる瞬間もありますよね。
ギャップが苦しさに変わるとき
演じているわけじゃない。
でも、理想のイメージを意識しすぎると、本来の自分が置いてけぼりになることがある──そんな感覚、私もよくあります。
そのときに湧いてくる問いが、
「これは本当に自分が目指したい姿なのか?」
「ただ“よく見せたい”だけじゃないのか?」
この問いかけを自分に返すことは、ギャップと向き合う第一歩なのかもしれません。
本当の自分が顔を出す瞬間
じゃあ、“素の自分”ってどんなときに現れるのか。
私の場合、それは圧倒的な熱量を感じているときです。
・時間を忘れて没頭している
・自然に言葉が出てくる
・気づけば身体が動いている
こうしたフロー状態にあるとき、たぶん私は「本当の自分」としてそこにいます。
それは「どう見られるか」ではなく、「何を感じ、何を伝えたいか」が中心にある状態。
頭が先か、心が先か
「こう見られたい」と思って動いているとき、私の中では“頭”が先に動いている感覚があります。
逆に、心が動いたときは、思考を超えて身体が先に反応する。行動してから言葉がついてくるようなイメージです。
「考えること」ではなく、「考えるという“行動”をしている」
このニュアンスの違いは、意外と大きな感覚の差につながっています。
両方あっていい。ただ、心地よくあるか。
私は、「こう見られたい自分」も、「本当の自分」も、どちらもあっていいと思っています。
たとえば、社会貢献をしている自分がかっこいい、と思って行動するのも全然アリ。
その行動が自分にとって“心地いい”うちは、むしろそのエネルギーはポジティブに働くんじゃないでしょうか。
ただ、それが“しんどさ”に変わったとき──
「演じること」が負荷になってきたときは、少し立ち止まってみてもいいかもしれません。
まとめ:「正直さ」ではなく「心地よさ」で、バランスをとる
見られ方を意識するのは自然なこと。
ギャップに苦しさを感じたら、「それは本当に目指したい姿か?」と問い直す。
没頭や熱量の中に、“素の自分”が現れる。
「演じる自分」もアリ。ただ、それが苦しくなったら一度止まろう。
そして、最も大切なのは、「正直であれ」よりも、「心地よくあれ」という感覚かもしれません。
これからも、自分自身の快・不快に敏感でありながら、「見られ方」と「在り方」のバランスを整えていけたらと思います。
本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です
