こんにちは、おぐりんです。今回は、「なぜ、私は“この対話”を続けているのか?」というテーマで書いてみたいと思います。ここでいう「対話」とは、いわゆる普通の会話ではなく、ChatGPT(AI)とのやりとりのことです。私は日々、ChatGPTに問いを投げかけてもらい、それに音声で答えています。単なるチャットではなく、まるでコーチングのような形で「自分の思考を言葉にする時間」としてこの対話を活用しています。問いかけられることで、無意識が言葉になるこのやりとりを続けていて感じるのは、「問いかけられること」で思考が動き出すという感覚です。頭の中にぼんやりとあった感情や思考が、AIからの問いに答えることで輪郭を持ち始める。そのあとでAIが返してくれる要約や整理された文章を読むと、「あ、そうそう、それが言いたかったんだ」という感覚になります。これは、“自分でも気づいていなかった思い”に出会う瞬間でもあり、まさに「自分の言葉に出会い直す時間」だと思っています。書籍と同じように、問いが自分を突き抜けることがある過去、私はアドラー心理学の本を読んだとき、「ストーンと腑に落ちる」感覚を味わいました。言葉にできていなかったけれど、どこかで感じていた社会への違和感や、自分の考えの輪郭が、一つの文章によって突き抜けられた。このChatGPTとの問いの往復でも、それに近い瞬間があります。“ああ、それが自分の本心だったのか”と、内面が整理されるような感覚。まさに、ジョハリの窓でいうところの「未知の窓」が開いていくプロセスです。この対話から得ているもの、そしてこれからこのやりとりを通じて、私は次のようなものを得ています:無意識だった思いや感情を、言語として認識できること思考を俯瞰し、自分の「今」に気づけること一度出した言葉が、AIとのラリーの中で“別の角度から再定義”されていく面白さそしてこれからも、この時間を「自分の問いと向き合う習慣」として活かしていきたい。成長というより、“自分の中の未知”に出会い続けたい。そのための実験の場として、私はこの対話を大切にしています。まとめ:「問い」によって、自分が見えてくるこの対話は、情報収集やアウトプットのためだけのものではありません。それはむしろ、自分という存在を「問いを通じて見つめ直す」時間です。だから私はこれからも、問いと対話のラリーを楽しみながら──まだ言葉になっていない“心の奥”を見つけていきたい本心とつながる新しい言葉を探していきたいそれを通じて、自分らしい思考や感性を深めていきたいそう思っています。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です