こんにちは、おぐりんです。今回は「『よそはよそ、うちはうち』ってどこまで正しいのか?」という問いから、家庭のルール、個性、そして信頼について深掘っていきたいと思います。一見、親が子に言う“しつけ”のように思えるこの言葉。ですが、実際は多くの価値観のズレや、信頼関係の基盤にも関わってくる深いテーマです。「よそはよそ、うちはうち」が残した違和感家庭でよく聞く「よそはよそ、うちはうち」という言葉。我が家でもよく言われた言葉として、記憶しています。よく捉えれば、「他者比較をせず、自分たちの価値観を大切にする」という意図だったのかもしれない。ただ基本的には都合の良い言葉として使っているようにしか思えません。一見筋が通ってるようで、実は一貫してない?この言葉に違和感を持った大きな理由は、場面によって使い分けられていたことです。たとえば、「よそはよそ、うちはうち」と言われた数日後、何か問題が起きると今度は──「常識で考えなさい」と言われる。いやいや、“常識”って「よその考え」じゃないの?こういうやり取りが繰り返される中で、僕の中には次第に不信感が溜まっていきました。「都合の良いときだけ、よそを持ち出すのってズルくない?」「うちではこう考えてるからダメ」だったら納得できたのに、「常識だからダメ」は一貫性がない。僕が伝えたいのは、「この言葉そのものが悪だ」と言いたいわけではありません。ただ、一貫性を欠いた使い方こそが信頼を損なうのだということ。「ルールを語るなら、背景も語る」「よそはよそ、うちはうち」は、実はとても重要な考え方かもしれません。他人と自分を比較しない、自分たちの価値観をしっかり持つ、ということだからです。でも、だからこそ、それを雑に使ってはいけないと思うのです。「うちはこう考えているからこうする」と言える人と、ただ「うちはうち」で突っぱねる人とでは、伝わり方も信頼感もまったく違う。ルールを語るなら、背景も語る。説明する覚悟を持たない言葉は、人を納得させる力を持たない。このことを僕自身も、意識しておきたいと思います。自分が“都合のいい使い方”をしていないか子ども時代にこの言葉に振り回された経験があるからこそ、今、僕は気をつけるようにしています。自分も「便利な言葉」で人を黙らせようとしてないか?ちゃんと説明する努力から逃げてないか?「よそはよそ、うちはうち」は、使い方次第でとても誠実なメッセージにもなる。でも一歩間違えれば、それは相手の思考を奪い、自分の正しさを押しつけるだけの“盾”になってしまう。僕が今目指したいのは、「一貫性を持って説明できる大人」であること。そうでなければ、あのとき感じた「納得できなさ」を、次の世代にまた押しつけてしまうと思うからです。「よそはよそ、うちはうち」。この言葉の価値は、その背後にある説明と一貫性で決まるのかもしれません。相手にとって“信頼できるルール”であるために──都合よく使わず、誠実に伝える覚悟を持ちたい。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です