こんにちは、おぐりんです。最近、「自分らしさって何だろう?」という問いをよく聞きます。でも正直なところ、私はこの問いに“探しに行く”という感覚はありません。「自分らしさは作るものでも、探すものでもない」私にとってそれは、“気づくもの”です。きっかけは、たいてい何かの“違和感”でした。「違う」と思った瞬間に、らしさが浮かび上がる正論なのに、なんかしっくりこない。みんなが「右だよね」と言っているのに、自分だけ「いや、左の方がいいかも」と思ってしまう。そんな風に、外の声と自分の感覚がズレたとき。そのズレが、“あ、自分ってこうなんだ”と教えてくれる合図になるんです。これは内側から生まれたというより、外との接触の中でじわっと浮かび上がってくる感覚。気づこうとしたというより、「気づかされていた」に近いかもしれません。抑えられたことで、見えてきた“輪郭”「自分らしさを抑えた経験はある?」と聞かれたら、私はこう答えます。「自分で抑えたというより、抑えられていた」と。たとえば、学校のルールや空気を読む文化。表面的には従っていても、心のどこかで「え、なんで?」と反発していたあの感覚。でもその違和感を抱き続けたからこそ、「ああ、自分はこういうタイプなんだな」と、少しずつ気づいていったように思います。気づきって、いつもポジティブとは限りません。むしろ、ネガティブならしさほど、何度も繰り返されないと腹落ちしない。「表面では分かってるけど、心の奥ではまだ拒んでる」──そんなタイムラグも含めて、自分らしさって形作られていくんだと思います。他者の言葉が“未知の窓”を開いてくれるジョハリの窓という言葉があります。「自分では気づいていないけど、他人は知っている自分」。まさにその“未知の窓”を、私は他者の言葉で何度も開かされてきました。「おぐりんって、こういうとこあるよね」「え、そこって自分の特徴だったの?」最初はピンとこなかったけど、後からじわっと効いてくるような言葉たち。自分の中に確かにあったけど、言葉になっていなかった“らしさ”が、誰かの視点で輪郭を帯びる。そんな体験を繰り返してきました。本や映画から気づかされることもあります。自分と直接関係のないものが、ふとした瞬間に“自分”を映し出してくれることってありますよね。自分らしさは、育ち続ける“輪郭”たった一つの出来事で、「これが自分だ!」と決まるわけではありません。むしろ、らしさは繰り返しの中で、ゆっくりと浮かび上がってくるもの。そして何より、それは変わっていってもいい。「自分らしさ」は、外との違和感や他人の言葉と出会うことで、育っていく輪郭のようなものなのかもしれません。もしあなたが今、「自分らしさがわからない」と感じているとしたら。焦って探しに行く必要は、きっとない。違和感を感じたその瞬間こそが、あなたの“らしさ”に触れた証拠かもしれません。