こんにちは、おぐりんです。最近「エコビレッジ」や「持続可能な暮らし方」という言葉をよく耳にするようになりました。ドイツのSieben LindenやアメリカのEcoVillage at Ithacaなど、海外の事例も紹介され、日本でも関心が高まっています。でも、そもそも「持続可能」って何を持続させることなのか?この問いを立てるだけで、暮らしの見方は大きく変わります。無理をしないこと、それが持続可能性多くの人が「持続可能=食やエネルギーの自給」と考えがちです。でも私は、無理をした時点で持続不可能だと思っています。農業やインフラはもちろん大事。でもそれ以上に大切なのは、「共に暮らす意味を持続させられるか」。価値観や合意形成をすり合わせながら生きることにこそ、エコビレッジの本質があると感じます。私が運営するシェアハウス「nukumo house」もそうです。都心でコストを抑えて住めるのはきっかけにすぎません。本質は“心地よい関係性が続くかどうか”なんです。関係性の摩耗が一番のリスクエコビレッジの解体理由は「お金」よりも「人間関係の摩耗」であることが多いと言われます。たしかに、インフラが整っていない環境では「農業が苦手」など小さな不一致が摩耗につながりやすい。私自身、共同生活において重要なのは「無理をしない距離感」だと思っています。住まいは人生の“最上位概念”。癒しや回復の場がストレス源になってしまうのは本末転倒です。だから私は、ルールを設けるくらいなら解散した方がいいと考えています。ルールがなければ成り立たない関係性は、すでに持続可能ではないからです。“複製できない”ことが本質かつて私は「nukumo houseを全国に増やそう」と思っていました。でも結論は「無理」でした。なぜなら、住まいは俗人的であり、誰とどんな関係値で始めるかがすべてだからです。シェアハウスもエコビレッジも、「箱」や「マニュアル」では続きません。関係性そのものがインフラであり、熱量の共有が核になる。だから私は「やりたい人が主となってやる。それ以上はない」と結論づけました。まとめ:やめる自由も含めて、しなやかに続ける持続可能な共同体は、「絶対に続けなければならない」と思った瞬間に重くなります。大事なのはやめる自由も含めて、無理なく続けること。複製できないからこそ残るものがある。設計や制度ではなく、そこに集う人の関係性が持続のカギになるのです。あなたにとって「無理なく続けられる暮らし」とはどんな形でしょうか?その問いが、次のコミュニティの始まりになるのかもしれません。