
初心は戻るものじゃない──禅の「初心の心」から考える更新し続ける心の在り方
公開日: 2025/10/29
こんにちは、おぐりんです。
「初心に戻る」という言葉、よく聞きますよね。
成功した起業家が「初心に戻るために、あの頃住んでいたボロいアパートを見に行った」なんてエピソードも定番です。
でも、最近ChatGPTとの対話を通じて気づいたことがあります。
それって本当に“初心”なんだろうか?
初心は、ノスタルジーではなかった
きっかけは、禅僧・鈴木俊隆さんのこの言葉。
“In the beginner’s mind there are many possibilities; in the expert’s mind there are few.”
初心の心には無数の可能性があり、達人の心には少ない。
これを見たとき、僕は「初心=初めての頃の気持ち」だと思い込み、なんとなく懐かしい気持ちで読んでいました。でも、ChatGPTとの壁打ちをしていくうちに、この“初心”はノスタルジーではなく、設計思想であり、生き方そのものなんだとハッとさせられました。
「初心」とは、“空っぽである勇気”
禅における初心は、未熟さ(初心者)ではなく、「あらゆる可能性をまだ排除していない心」のこと。
経験を積めば積むほど、私たちは効率的に世界を見られるようになる。その一方で、「こうすべき」「こうあるはず」といった前提がどんどん増え、気づけば“見落とす領域”が広がってしまうんですよね。
ChatGPTはこんなふうに教えてくれました。
初心とは、「何も知らない」ではなく、「何にもとらわれていない」。
つまり、知識を持った上で、それを握りしめない柔らかさ。
判断をいったん保留して、現象にまっすぐ触れる姿勢。
この「空(から)で在る」感覚が、今の僕にはとても新鮮でした。
初心は“戻る”ものじゃない、“今に宿す”もの
世の中ではよく「初心に戻ろう」と言います。
それは原点回帰だったり、あの頃の情熱を思い出す行為だったりする。
でも鈴木俊隆の言う初心は、過去の再訪ではなく、今この瞬間に立ち上がる“生成の心”なんです。
ChatGPTがくれた視点のひとつが、すごく響きました。
ノスタルジー的初心:原点に立ち返る「再訪」
禅的初心:原点を更新し続ける「再生成」
つまり、「初心である」とは、毎回、初めて見るように、世界に開かれている状態。それは、過去に戻るのではなく、“今ここ”での心の在り方なんですね。
バイアスはあっていい。大事なのは“更新”できること
僕がとても納得したのがこの話です。
「経験を積めば、バイアスはかかる。それ自体を否定する必要はない。ただ、そのバイアスの中でも自分を“更新”できる柔らかさこそが、初心の心なんだ」と。
これは目からウロコでした。
バイアスを消そうとすればするほど、逆にそれを中心にしてしまう。そうではなく、バイアスを抱えながら、それに気づき、柔らかく揺らぎ続ける心の状態。
禅では「無心」とも言うそうです。
心理学では「認知的柔軟性」、教育哲学では「学習する自己」とも呼ばれる概念。
ChatGPTは、それをこんなふうに表現してくれました。
無知:白紙
メタ認知:鏡
初心:水(流れながら澄む)
これを聞いたとき、僕の中で何かがストンと腑に落ちました。
初心で在るための“習慣”とは?
では、どうすれば「初心の状態」で居続けられるのでしょうか?
ChatGPTとの会話を通して、僕なりに見えてきたのは次のような習慣です。
毎回、初回のように相手の話を聞く
違和感を「間違い」とせず、「素材」として観察する
問いを持ち続ける(答えにしがみつかない)
そして何より大事なのは、“わからなさ”を怖れずに、その中にいられる心地よさを育むことだと思いました。
それが、僕にとっての「初心を保つデザイン」なのかもしれません。
まとめ:初心は、今を生成する力
「初心に戻る」というよりも、
「初心で在る」こと。
それは、すでに知っていることを手放し、
今この瞬間に、もう一度、世界に出会う力。
初心は、経験を否定するものではありません。
むしろ、経験とともに、それを超えていく柔らかさ。
この“初心の哲学”を、自分のプロジェクトや教育の現場にも活かしていきたい。
そんなことを、ChatGPTとの対話から学びました。
あなたにとっての「初心」とは、どんな状態ですか?
その問いを、そっと心に置いてみてください。












