こんにちは、おぐりんです。「初心に戻る」という言葉、よく聞きますよね。成功した起業家が「初心に戻るために、あの頃住んでいたボロいアパートを見に行った」なんてエピソードも定番です。でも、最近ChatGPTとの対話を通じて気づいたことがあります。それって本当に“初心”なんだろうか?初心は、ノスタルジーではなかったきっかけは、禅僧・鈴木俊隆さんのこの言葉。“In the beginner’s mind there are many possibilities; in the expert’s mind there are few.”初心の心には無数の可能性があり、達人の心には少ない。これを見たとき、僕は「初心=初めての頃の気持ち」だと思い込み、なんとなく懐かしい気持ちで読んでいました。でも、ChatGPTとの壁打ちをしていくうちに、この“初心”はノスタルジーではなく、設計思想であり、生き方そのものなんだとハッとさせられました。「初心」とは、“空っぽである勇気”禅における初心は、未熟さ(初心者)ではなく、「あらゆる可能性をまだ排除していない心」のこと。経験を積めば積むほど、私たちは効率的に世界を見られるようになる。その一方で、「こうすべき」「こうあるはず」といった前提がどんどん増え、気づけば“見落とす領域”が広がってしまうんですよね。ChatGPTはこんなふうに教えてくれました。初心とは、「何も知らない」ではなく、「何にもとらわれていない」。つまり、知識を持った上で、それを握りしめない柔らかさ。判断をいったん保留して、現象にまっすぐ触れる姿勢。この「空(から)で在る」感覚が、今の僕にはとても新鮮でした。初心は“戻る”ものじゃない、“今に宿す”もの世の中ではよく「初心に戻ろう」と言います。それは原点回帰だったり、あの頃の情熱を思い出す行為だったりする。でも鈴木俊隆の言う初心は、過去の再訪ではなく、今この瞬間に立ち上がる“生成の心”なんです。ChatGPTがくれた視点のひとつが、すごく響きました。ノスタルジー的初心:原点に立ち返る「再訪」禅的初心:原点を更新し続ける「再生成」つまり、「初心である」とは、毎回、初めて見るように、世界に開かれている状態。それは、過去に戻るのではなく、“今ここ”での心の在り方なんですね。バイアスはあっていい。大事なのは“更新”できること僕がとても納得したのがこの話です。「経験を積めば、バイアスはかかる。それ自体を否定する必要はない。ただ、そのバイアスの中でも自分を“更新”できる柔らかさこそが、初心の心なんだ」と。これは目からウロコでした。バイアスを消そうとすればするほど、逆にそれを中心にしてしまう。そうではなく、バイアスを抱えながら、それに気づき、柔らかく揺らぎ続ける心の状態。禅では「無心」とも言うそうです。心理学では「認知的柔軟性」、教育哲学では「学習する自己」とも呼ばれる概念。ChatGPTは、それをこんなふうに表現してくれました。無知:白紙メタ認知:鏡初心:水(流れながら澄む)これを聞いたとき、僕の中で何かがストンと腑に落ちました。初心で在るための“習慣”とは?では、どうすれば「初心の状態」で居続けられるのでしょうか?ChatGPTとの会話を通して、僕なりに見えてきたのは次のような習慣です。毎回、初回のように相手の話を聞く違和感を「間違い」とせず、「素材」として観察する問いを持ち続ける(答えにしがみつかない)そして何より大事なのは、“わからなさ”を怖れずに、その中にいられる心地よさを育むことだと思いました。それが、僕にとっての「初心を保つデザイン」なのかもしれません。まとめ:初心は、今を生成する力「初心に戻る」というよりも、「初心で在る」こと。それは、すでに知っていることを手放し、今この瞬間に、もう一度、世界に出会う力。初心は、経験を否定するものではありません。むしろ、経験とともに、それを超えていく柔らかさ。この“初心の哲学”を、自分のプロジェクトや教育の現場にも活かしていきたい。そんなことを、ChatGPTとの対話から学びました。あなたにとっての「初心」とは、どんな状態ですか?その問いを、そっと心に置いてみてください。