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1992年8月9日、福岡県生まれ。
一般社団法人nukumo代表理事。

見る者がいなければ、月は存在しない──観測がつくる「私と世界」の哲学

公開日: 2025/12/12

こんにちは、おぐりんです。

「見る者がいなければ、月は存在しない。」

この言葉、最初に見たとき、正直「いや、そりゃそうでしょ」と思ったんです。
でも、この言葉を言ったのがジョン・ホイーラーという量子物理学の巨匠だと知って、「あれ、そんな当たり前のことを、このレベルの人が言う?」と違和感を覚えました。

そこから少し調べてみたら、これが思った以上に深くて面白かったんです。

「見る者がいなければ、月は存在しない」ってどういうこと?

ホイーラーのこの言葉、直訳的に捉えると“人が見ていないと月は消える”という、とんでもない話に聞こえます。でも、彼が言いたかったのは、そんな“物理的な冗談”ではありませんでした。

量子物理の世界では、「観測するまで状態が決まらない」という現象が知られています。
電子や光子などの粒子は、観測されるまでは“存在が確定していない”んです。観測することで初めて、「ここにある」と決まる。ホイーラーはそれを、宇宙全体にまで広げてこう言ったんですね。

「もし誰も見ていなければ、月は“確定しない”。」

つまりこれは、「存在とは、観測によって初めて成立する現象である」ということ。僕たちは“ある世界を見ている”のではなく、“見るという行為で世界を立ち上げている”という考え方なんです。

当たり前のようで、当たり前じゃなかった

僕が「そりゃそうでしょ」と思ったのは、表面的な意味での「見えないものは存在しない」という話。でも、ホイーラーが言いたかったのはもっと根本的なことでした。

“存在”というものが、そもそも誰かの観測によってしか確定しない。

つまり、「見る前の月」は、まだ“月かどうかすら決まっていない」という考え方なんです。量子の世界では、状態が重なり合ったまま存在している。観測した瞬間に“1つ”に決まる。だから、ホイーラーにとって“見る”という行為は、世界を構築する行為なんです。

これを知ったとき、ちょっと鳥肌が立ちました。だって、“現実”って、僕らが思っているほど確かなものじゃないのかもしれないんですよ。僕らが“見る”から、世界が確定していく。つまり、世界は僕らの「参加」でできている。

じゃあ、「見る者がいなければ」ってどういうこと?

ここでポイントなのは、“見る者”の存在です。
ホイーラーは「参加型宇宙(Participatory Universe)」という考えを提唱しました。宇宙は、観測者が参加して初めて成立する。つまり、“世界は人間と切り離せない”という発想です。

僕はこの考え方を知って、「世界って“外にあるもの”じゃなくて、“関係の中で生まれるもの”なんだな」と感じました。僕らが見て、世界が形を持つ。逆に言えば、僕らが見なければ世界は確定しない。そう思うと、当たり前のように見ていた“現実”が、少し柔らかく感じられました。

自分という存在も、誰かの“観測”でできている

ここまで考えてふと思ったのは、「これって人間関係にも同じことが言えるんじゃないか?」ということです。僕という存在も、誰かの視線の中で確定していく。

例えば、「おぐりんって優しいよね」と言われた瞬間、僕の中の“優しさ”という要素が、ひとつ形になる。それまでは曖昧だった自分の一部が、他者の観測によって確定するんです。だから、「他人は鏡」というのは、実は量子的にも正しいのかもしれません。

自分の見方だけで自分を定義してしまうと、世界との関係が切れてしまう。けれど、他者の観測を受け取ることで、自分という存在はより立体的になっていく。つまり、“観測されること”は、自分をつくるプロセスの一部なんですよね。

当たり前の言葉の奥にある、ホイーラーの問い

結局のところ、ホイーラーの言葉は「存在とは何か?」という根本的な問いへの挑戦だったんだと思います。

僕が「そりゃそうでしょ」と思ったその“当たり前”の奥には、「そもそも“ある”ってどういうこと?」という哲学的な爆弾が隠れていた。量子の世界では、「見る」という行為が世界を形づくる。だから、僕らが世界をどう観測するかによって、見える現実は変わっていく。

世界は、見るから存在する。見ることで確定し、意味を持つ。
そして、見られることで自分もまた存在を持つ。

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