こんにちは、おぐりんです。「変わらないこと」は、本当に悪なのでしょうか?現代は「成長=善」「変化=進化」とされがちですが、その空気感に疑問を持ったことはありませんか?今回は、自分の中にある“変わらなさ”とどう付き合うか、そしてそれが持つ力について考えていきたいと思います。「変わらないこと」は本当に悪か?成長を求められる社会の中で、「変わらない自分」に罪悪感を持ったことはありませんか?私自身も、「もっと柔軟になった方がいいのでは」「変わらなければ置いていかれるのでは」と思った時期がありました。でも、そんな中でも変えなかったことがあります。それは、「自分の意見を伝える」という姿勢です。ただしそれは、相手に対して強く押しつけることではありません。「伝え方は変えるが、伝えることはやめない」という意志です。言い方によって誰かを傷つけるなら、そこは改善していきたい。でも、言うべきことを我慢して飲み込むことだけは、人生においてしないと決めています。なぜなら、それが自分の尊厳を守ることに直結しているからです。黙ることで自己否定を積み重ねるのではなく、自分の人生を自分として生きるために、伝えることを選び続けています。言うこと=信頼の証なぜ「言わないことを選ばない」のか?それは、「自分の人生を生きるため」です。自分を押し殺して、他人に合わせてばかりの人生は、自分の人生とは言えません。そして、言うべきことを伝えたことで、実際に誰かが変わった、救われたという経験もあります。私が思いを伝えるのは、本気で向き合いたい相手に対してだけです。それはつまり、「言う」こと自体が相手への信頼の証であり、敬意の表れなのだと思っています。また、自分が誰かに本気で伝えられたことで変われた経験もあります。伝えることは、同時に受け取ることでもあるのです。だからこそ、伝えることをやめない。この循環を信じて生きています。誤解や生きづらさとの向き合い方もちろん、この姿勢によって誤解されたり、生きづらさを感じたりすることもあります。「変わらない」という姿勢は、ときに「頑固」や「融通が利かない」と捉えられることもあります。実際に、「エゴを押しつけている」と言われたこともありますし、自分の言い方で相手を不快にさせてしまったかもしれないと反省することもあります。それでも、「伝える」ことをやめる選択はしません。相手がどう受け取るかは、アドラー心理学の『課題の分離』に基づけば「自分の問題ではない」からです。とはいえ、誤解を招いた場合は「伝え方」の責任として自省します。伝える意志と伝え方の工夫、この二つを両立させながら、自分の軸を持って生きること。それが、私なりの誠実さの形です。「変わらなさ」は誰かの支えになる実はこの「変わらない姿勢」が、誰かの支えになった瞬間がありました。自分の考えを率直に伝えたことで、相手が「本気で言ってくれてありがとう」と涙を流してくれたこともあります。逆に、私も誰かの本音に触れて、自分が変われたことがあります。「本気で向き合えば、伝え合える」──そんな信念を持ち続けることで、関係性は確かに深まります。この関係性の深化は、信念を持つ人間同士だからこそ築けるものだと実感しています。つまり、変わらないということは、信頼の土台にもなり得るのです。自己実現とは「変わらない自分」と共に生きること「自己実現とは、自分にできることをすることだ。人はなれるものにしかなれない。」— アブラハム・マズローSNSで常に比較される時代にあって、自分の「できなさ」に不安を抱くのは自然なことです。でも、本当に大切なのは、自分にできることを積み重ねること。失敗しても、反省しても、自分で選んだ道を歩む。それが私にとっての「自己実現」であり、「変わらない自分」を肯定する生き方です。間違えることも、過信することもあります。でも、そこで立ち止まり、問い直すこともまた、自分を生きる姿勢のひとつ。反省と再選択の繰り返しこそが、人生を深める方法なのだと、最近では強く思います。まとめ「伝える努力をやめない」ことは、自分を生きること本気で言葉を届けることで、信頼が生まれる誤解を恐れず、変わらない信念を貫く強さを持つ変わらない自分」は、誰かの支えにもなる比較よりも、自分を積み上げる人生を選ぶ「変わらなさ」は自己実現の土台にもなる反省と再出発の繰り返しが、自分らしさを育む「変わらないこと」は、決して悪ではありません。むしろ、現代においてはそれが本当の強さかもしれません。あなたが守りたい“変わらなさ”は、どんな部分ですか?それは、誰かの力になっているかもしれませんよ。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です