こんにちは、おぐりんです。私たちは日々、「何をやるか」ばかりに意識を向けがちです。でも実は、「何をやらないか」を選ぶことこそが、自分の生き方や価値観を形作っているのかもしれません。今回はそんな“やらないこと”に焦点を当てて、私自身の体験や気づきをもとに、少し立ち止まって考えてみたいと思います。正義感を守るために「やらない」と決めたこと私はこれまで、数えきれないほど「やらない」と決めたことがあります。それは時に、収益チャンスだったり、効率を上げる選択だったりもしました。でも、その判断基準は一つ。「自分の正義感や価値観を曲げてまで、得るべきものか?」例えば、確かにやれば儲かるビジネスの話があったとしても、自分の中の道徳感や社会的な納得感とズレていれば、それはやらない。なぜなら、やってしまったら“自分じゃなくなる”感覚があるからです。やらないと決めることは、私にとって自分の輪郭を守る行為なんです。「やめることで見えた、自分という人間」そして「やらない」と決めたことの多くが、結果として私に“余白”や“発見”を与えてくれました。一つの例が「お酒をやめてみた」ことです。コロナ禍で外食が激減したタイミングに、試しにお酒を断ってみたんです。すると、飲まない日々が自然と続いて、数年経っても平気だった。今は、飲みたいときは飲みます。でも、お酒は“なくてもいいもの”だったと気づけた。逆に、同じようにアイスをやめてみたときは、無理だった(笑)コンビニに寄れば、やっぱりアイスが食べたくなる。この“やってみて気づく”実験の繰り返しが、「自分にとって本当に大事なものは何か?」「何が快楽で、何が本質か?」を浮かび上がらせてくれるんです。さらにこうした実験は、仕事の判断軸にも大きく影響を与えています。たとえば、即効性のある施策や派手なプロジェクトでも、自分の中で「やらない」と決めたことには手を出しません。それは遠回りに見えて、実は自分の信頼やブランドを守るための「内側からの防御」になっているんです。やめられないけど、向き合っていることもちろん、やめられないこともあります。例えば、「仕事を優先しすぎて運動不足になること」。頭ではわかってるんです。体調を崩せば、本末転倒だと。でも、仕事が楽しくて、ついそっちを優先してしまう。だから今は、「サプリを飲む」「隙間時間にストレッチをする」など、完璧ではないけど“できる範囲”で少しずつ整えるようにしています。これは、私なりの“仮のバランス”です。理想を押しつけず、今できる選択肢で折り合いをつける。そしてどこかで「本当にやめたいなら、まず3ヶ月だけやってみよう」と、未来の自分にバトンを渡しています。このスタンスは、実は「自分を責めない」という意味でも大切だなと最近感じています。やめられないことに罪悪感を抱きすぎると、それだけで自己肯定感が削られていってしまう。だからこそ、“向き合いながらも寄り添う”姿勢が必要なんだと思います。やらなくなったことで生まれたポジティブサイクルお酒をやめたことに限らず、「やらなくなったことで余白ができた」体験はたくさんあります。例えば、飲み会の翌日はどうしてもパフォーマンスが落ちていたけれど、お酒をやめると、翌朝すっきり目覚めて、朝から全力で仕事に取り組める。私は仕事が好きなので、パフォーマンスが上がると自然と気持ちも前向きになる。その結果、さらに良い成果が出る──というポジティブな循環が生まれるんですよね。また、余白があると、まったく新しいアイデアがふと浮かんできたり、人の相談に心の余裕を持って応じられたりする。それは単なる「時間の確保」ではなく、「精神の静けさ」を生む選択でもあるんです。“やらない”って、決してネガティブな選択ではなくて、むしろ「本当にやりたいことに集中するための余白づくり」なんです。今、やめたいと思っていること今の私は、「働かないと不安になる」という感覚を少しずつ手放したいと思っています。空白の時間があると、どこかで「サボっているんじゃないか」と思ってしまう。でも本当は、その時間にこそ、自分の心と体を整えるヒントがあるんだと思うんです。散歩でもいい。運動でもいい。自分を守るための“静かな時間”を取り戻す。また、これは私にとって「信頼する力を育てる」ことでもあります。自分が手を動かしていない時間にも、チームや仲間が前に進めてくれる──そう信じること。そして、自分の“仕事観”や“成果の定義”を少しずつアップデートすること。それがきっと、数ヶ月後、数年後の自分の基礎体力や思考の質に繋がってくるはずです。まとめ:やらないことで見えてくる「自分」やらないことは、自己否定ではなく「自分を知る」ための行為手放すことで初めて、自分の価値観や欲求が浮き彫りになる余白は、集中力・創造性・穏やかさを育てる土壌になるやめられない自分にも、まずはやさしく向き合ってみるもしあなたにとって「やめてみたいな」「手放してみたいな」と思うことがあるなら、それはすでに“自分らしさ”への一歩かもしれません。まずは3日間でも、1週間でも。小さく始める“やらない選択”が、未来の自分に思わぬ贈り物を届けてくれるかもしれません。そして、「何をやらないか」を選び続けたその先にこそ、ほんとうに「やりたいこと」にまっすぐ向き合える、自由な時間と心が待っていると信じています。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です