こんにちは、おぐりんです。今回は、「あの一言が問いになった」というテーマで、私の心にずっと残っている言葉をもとに、人との関わり方、自分の在り方、そして伝え方について考えてみたいと思います。大学生時代に出会った“火”の比喩大学生の頃に、ある人からこんな言葉をもらったんです。人は自分の焚き火には火を灯し、薪をくべて炎を大きく育てることができる。でも、まだ火がともっていない誰かの焚き火に、いくら薪を運んでも、それはただの木材の山でしかない──火を灯すのは、あくまで本人の役目なのだこれはつまり、「やる気」や「行動の原点」は他人が無理やりつくるものではない、ということ。火がすでに灯っている人に薪(ヒントや応援)をくべれば炎は大きくなるけれど、火がついていない状態の人にどれだけ薪をくべても、火は起きない。──この言葉が、今でも私の行動の指針になっています。自分のエゴに気づかされた気づき支援や教育、あるいはビジネスの場でも「この人、こうなったらもっと良くなるのに」と思うことってありますよね。でもそれは、多くの場合、自分の“地図”で見ているだけだったりします。私自身も、「この人が変われば、もっと道が開けるのに」と感じたことが何度もありました。だけどあるとき、ふと気づいたんです。「あれ?これって僕のエゴじゃないか?」相手を変えたいと思う気持ちは、どこかで「自分のやり方が正しい」と思っていることの裏返し。だけど、その人の環境、思考、タイミング、成熟度──どれ一つとして自分と同じではないんですよね。それ以来、私は「相手の火をつける」のではなく、「火が灯るかもしれない環境を整える」ことに力を注ぐようになりました。自分のやり方が万能だと信じてしまいそうになる時こそ、いったん立ち止まり、相手のペースと背景を尊重することを意識しています。Footballcoachでの“種まき”という仕事私が運営している『Footballcoach(フットボールコーチ)』というメディアでは、ただ技術を伝えるだけでなく、思考やマインドセットにも触れるようなコンテンツづくりを意識しています。でも、そのアプローチはあくまで「種まき」。私が伝えたいのは、「こういう考え方をすれば結果が変わるかもしれないよ」ということ。でも、それを押し付けたら意味がない。だから私は、相手が自然に受け取れる“好きなサッカー”という入り口の中に、考えるきっかけになるような種をそっと仕込むようにしています。その種が芽を出すかどうかは、その人のタイミングと意思に委ねられる。だけど、撒き続けることはできる──これが私なりの支援スタイルです。たとえば、とある選手のプレーの裏にある考え方や価値観を、記事や映像を通じて紹介することで、「自分もこう考えてみようかな」とふと思ってもらえたら、それだけでも十分。気づきの種は、時にずっと後から芽吹くこともあるからです。変えようとすることより、“信じて待つ”ことの価値この問いを持ち続けて変わったのは、私の“関わり方”でした。かつては「変えてあげたい」と思っていた。けれど、変えることで本当に幸せになるのか?という視点に立つようになってから、少しずつ考えが変わっていきました。今は、「信じて待つ」「響く土壌を育てておく」ことの大切さを知っています。それは、目に見える成果ではないかもしれない。でも、自分自身の在り方として、圧倒的に穏やかで豊かなんです。一歩引いて関わるという姿勢は、冷たいのではなく、「その人の力を信じる」という強いまなざしでもあります。手を差し伸べすぎないことで、自分の足で立つ力を育んでもらえる。その信頼こそが、いちばん大きなギフトなのかもしれません。まとめ:問いは答えではなく、“姿勢”を育ててくれる人の火は、本人にしかつけられない。自分ができるのは、環境や空気を整えること。押し付けるのではなく、好きなものの中に“問いの種”を仕込むこと。支援とは、変えようとすることではなく、「信じて待つこと」。この問いは、きっとこれからも私の中で残り続けると思います。そして、どんなに時代やツールが変わっても、私の仕事は──「火をつけることではなく、静かに種を撒き続けること」なのかもしれません。このスタンスを忘れずに、今日も誰かの“好き”の中に、そっと種を落としていきたいと思います。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です