
笑えるだけで、意味がある──日常に埋もれた「余白」の話
公開日: 2025/5/17
こんにちは、おぐりんです。
今回は「意味がないけど楽しいこと」について、自分の感覚を通して書いてみたいと思います。
私たちの暮らしは、つい“意味のあること”“成果が出ること”ばかりに目がいきがちです。何かを成し遂げる、誰かの役に立つ、結果を出す──それはもちろん大切なこと。でも、そこにばかり意識が集中しすぎると、心がすり減ってしまうこともある。
そんな中でふと立ち止まって感じたのが、「意味なんてないけど、なんか楽しい」瞬間の価値です。それがどれだけ自分を支えてくれているかを、最近あらためて強く実感するようになりました。
「意味なんてないけど、なんか楽しい」
私がそう感じるのは、日々のシェアハウスでの生活の中です。
私は、nukumo houseというシェアハウスを運営しています。
記事:ルールなし、自由に助け合う──nukumo houseが紡ぐ5年の物語
他愛もない会話。しょうもない話で笑っている時間。誰がどんな夢を見たとか、最近ハマっている駄菓子とか、もはや何も生み出していないのに、笑いが起きる。誰かの話に誰かが突っ込んで、誰かが爆笑して、そして全員でうなずいている。
そんな時間に、私はしょっちゅう「これだな」と思うんです。
意味なんてない。でも、それがいい。
意味のなさを抱きしめられる時間って、ある種のぜいたくなのかもしれません。
そしてその笑いが、“場”をゆるませ、“人と人”の間に安心を生み出してくれているのだと思います。
笑うこと、それ自体が価値だと思う
「笑うって、生きる上で大切だな」と、最近よく思います。
たぶん、“何を得たか”よりも、“どれだけ笑えたか”のほうが、日々のクオリティを決める気がしていて。
笑える時間があるということは、気持ちに余裕があるということ。
気持ちに余裕があるということは、心が守られているということ。
そしてその余白こそが、新しい発想や、人とのつながり、安心感を生む土壌になっているんだと思います。
大きな夢や目標を持っている人ほど、こういう“意味のない笑い”を意識的に確保しておくことが、大事なのかもしれません。目に見えないけれど、心を支える大きな支柱になるから。
一緒に笑える「誰か」と、日常を共にしたい
こうした“意味のない楽しさ”をこれからも持ち続けるには、たぶん「人との関係性」がカギになると思っています。
私は「日常を共にする人の数」が大事だと思っていて。
それは、シェアハウスの住人に限らず、仕事で関わる仲間もそうです。
単なる業務連絡や会議だけじゃなくて、
「最近どう?」「昨日あれ食べたんだけどさ」「あれ観た?」みたいな、雑談や何気ない報告。
そういう日常の共有が、笑いを生み、距離を近づけ、信頼関係をじわじわと育ててくれる気がしています。
つまり、笑えるというのは“関係の証”でもあるんですよね。
「言葉を交わす」だけでなく、「感情を交わせる」間柄が、笑いを可能にするんだと思います。
まとめ:「意味がない」ことの中に、人生の温度が宿っている
“意味がないけど楽しい”という時間は、もしかしたら日々のバッファなのかもしれません。
スケジュールに追われていたり、目標に向かって突っ走っているときこそ、ふとした雑談や、しょうもない笑いが、自分の体温を守ってくれる。
それって、成果でも実績でもなく、“人間らしさ”そのものなんですよね。
だから私はこれからも、
ただ笑うための会話を大切にする
意味のない雑談を、意味のある関係に育てていく
一緒に日常を過ごす仲間を増やし続ける
「笑えること」に罪悪感を持たないでいる
そんな時間の使い方を、無駄だとは思わないでいたいと思います。
それってつまり、「自分の心にとって意味がある」ってことだから。
そして、いつか振り返ったとき、
「あのしょうもない会話があって、ほんとよかったな」と笑える人生を歩んでいたいと思います。
本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です
