こんにちは、おぐりんです。今回は、「自己肯定感や自信」というテーマを、実存主義の哲学者ジャン=ポール・サルトルの言葉をきっかけに掘り下げてみたいと思います。人間は、自分が自分に課したもの以上にはならない。—— ジャン=ポール・サルトルこの言葉は、「人からどう見られるか」ではなく、「自分が自分にどう期待しているか」が人生を決めるという、非常に力強い視点を与えてくれます。自分に課したものが、自分の上限を決める私自身、この言葉を読んで強く刺さるものがありました。自分に課しているもの。夢、目標、目的──それらが高ければ高いほど、それに向かって自分は伸びていける。でも、高いだけでは意味がない。だからこそ、私はそれらをブレークダウンして、今できることに落とし込んでいく。そうして一歩ずつ前に進むことで、なりたい自分に近づいていくのだと思っています。特に事業については、2030年までにこうありたいという在り方やビジョン(たとえば『Footballcoach(フットボールコーチ)』の構想など)を明確に設定しています。一方で、個人の在り方についてはまだ曖昧な部分も多く、今後の大きなテーマだと感じています。「貸す」ことは、縛ることではなく可能性のデザインよく尊敬する先輩方から、「何歳で何をしたいのか」を明確にしなさいと言われることがあります。確かに、日付を設定することで意識も変わり、行動も変わる。事業にはそうした「時間設計」があるのに、プライベートでは設計が甘い自分に気づきました。でもそれは、ある意味で“曖昧である自由”でもあり、だからこそ「もっと自分に課していいのかもしれない」と、やっと思えるようになってきたんです。ワクワクし続ける問いを、自分に課し続けたい何かを「課す」と聞くと、プレッシャーや義務感を想像する人も多いと思います。でも私が大事にしたいのは、“可能性の宣言”として問いを自分に課すということ。「これができたら、めちゃくちゃワクワクするよね」そんな問いを、自分に貸してあげたいんです。守らなければならないノルマではなく、未来の自分をワクワクさせるための遊びのような設計。もちろん、今の「楽しさ」をないがしろにはしたくない。だからこそ、“今が楽しい”という感覚が、未来にも連続するような問いを、形にしていきたいと思っています。まとめ:「問い」は変えてもいい。でも、信じ続けたい軸になるサルトルの言葉が示すのは、問いを通じて人生を形づくるという生き方。自分に課すものは、時にプレッシャーになることもあるけれど、“問いを変えていい”という柔軟ささえ持てれば、それは自分を育て続ける軸にもなり得る。だから私はこれからも、自分をワクワクさせる問いを、自分に貸し続けるプライベートにも、丁寧に問いを設計していく今が楽しいという感覚を、未来につなげていくそんなふうに、“自分を課す”という営みを、楽しく続けていきたいと思っています。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です