こんにちは、おぐりんです。今回は、哲学者ニーチェの言葉「おのれの星を持て」をテーマに、僕自身の実感と重ねながら綴ってみたいと思います。おのれの星を持て。——フリードリヒ・ニーチェ(『ツァラトゥストラ』より)この一節は、誰かの人生をなぞるのではなく、「自分の人生を、自分の意思で歩め」という強烈なメッセージです。他者に流されず、でも孤立もせず、自分の人生を“自分の手で引き受ける”。この覚悟のようなものが、「おのれの星を持つ」ということなのだと僕は理解しています。どんな影響を受けても、「自分が選んだ」と思えること僕がずっと大切にしている考えがあります。それは──どんなに他人の影響を受けたとしても、どんなに外部環境によって揺れたとしても、「これは自分が決めたことだ」と言える人生を歩みたいということです。たとえ誰かのための決断でも、たとえ背中を押された結果だったとしても、最終的には「自分の矢印で決めた」と思えること。そうすることで、うまくいったときには自信に変わるし、うまくいかなかったときには内省の材料になる。反対に、「あの人が言ったから」とか「環境のせいでこうなった」と思ってしまうと、失敗の理由が外にある限り、自分では何も変えられない感覚に陥ってしまいます。僕にとって、“おのれの星”とは、どんな場面でも「自分の選択だった」と引き受けられる生き方そのものなのだと思います。これは自己責任とはまた少し違って、「すべての出来事を自分に引き寄せて考えることで、行動の主導権を自分に戻す」という感覚に近いかもしれません。「自分が選んだ」という実感があるからこそ、次に進める。そういう力が湧いてくるのです。矢印を外に向けていた自分。そして、気づいていく日々とはいえ、ずっとそんなふうに生きられてきたかというと、もちろんそんなことはありません。大学生のころ、ふとしたきっかけで「今の思考は環境や他人のせいにしてるな」と気づくことが増えてきました。それまでは原因論的に、「過去にこんなことがあったから今の自分がある」と考える癖があった。でもそこから、アドラー心理学に出会ったり、自分に向き合う時間が増える中で、「それでも、今の自分がどう行動するかは、自分で選べる」という感覚が芽生えてきたんです。今ももちろん、矢印が外に向いてしまう瞬間はあります。仕事でうまくいかなかったり、誰かと意見がぶつかったりすると、つい「相手が…」と思ってしまう。でもそのたびに、「本当に自分はやれることをやってたか?」と問い直す。結果を責めるのではなく、自分の“期待値”に対して自分がどれだけ準備をしていたか、確率を上げる努力をしたか。この問いがあることで、もう一度、自分に矢印を戻すことができるんです。こういうふうに書くと、すごく理屈っぽく聞こえるかもしれないけど、実際にはとても感情的な瞬間です。落ち込んだり、悔しかったり、モヤモヤしたり。その感情を味わったあとに、「でもどうだったかな?」と少し俯瞰できるようになると、気持ちが前に進み出すんですよね。毎日“星”を問い直す──だから見失わずに歩ける僕は、「自分に矢印を向ける」という姿勢は、毎日のように忘れてしまうものだと思っています。けれど、だからこそ問い直し続けることに意味がある。「今日、ちゃんと自分の足で歩いてるか?」「これは、誰の期待に応えようとしているんだ?」そんな問いを自分に返し続けることが、僕にとっての“星を見失わない技術”なのかもしれません。毎日が完璧じゃなくていい。でも、ふと立ち止まったときに、「そういえば自分はどんな星を見ていたっけ?」と確認できれば、それでいいと思っています。そしてその星は、決して変わらないものではなく、少しずつ形を変えながら、進む道を照らしてくれる存在だとも思うんです。まとめ:「矢印を戻せる人」が、自分の人生を歩ける人生は、常に迷いの中にあります。矢印が外に向くこともあるし、自分を見失いそうになることもある。でもそのたびに、「矢印を自分に戻せるか?」がすべての分岐点になるのだと思います。僕はこれからも、影響を受けることを恐れず、それでも「自分の決定で生きた」と言える人生を歩いていきたい。そして、そんな人と“共鳴”できたときにこそ、本当の意味でのつながりや創造が生まれるのだと思います。「おのれの星を持て」──この言葉を胸に、今日も自分に矢印を向けながら、生きていきたいと思います。もし、いま少し立ち止まっているとしたら──ぜひ「私は自分の星を、今どこに置いているだろう?」と問いかけてみてください。それが、きっとあなた自身の軸を照らす灯になるはずです。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です