こんにちは、おぐりんです。「副業を会社は認めるべきか?」よく聞かれるこの問い。僕自身、このテーマについては賛成派です。でもただ「副業=自由」では語れない、もっと深い背景や葛藤、そして可能性がある。今回はそんな副業をめぐる僕の視点を、率直に綴ってみたいと思います。副業は“選ぶ自由”であり、“問われる責任”でもあるまず、僕は副業を原則ポジティブに捉えています。なぜなら、副業とは「自分のキャリアを自分で選び直す機会」だからです。もちろん、誰にとっても副業が必要とは思いません。大切なのは、自分が今どんなステージにいて、どんな成長や挑戦を必要としているのかを見極めること。短期的な報酬だけでなく、人脈や視野の広がりといった“副業で得られる非金銭的な価値”に目を向けられるかどうかが重要です。そして、企業側にとっても副業を認めることは「社員の判断を信じる」という文化的メッセージだと思っています。管理から信頼へ──組織が成熟するための試金石になるはずです。副業を禁止する会社の“本音”とは?では逆に、なぜ副業を禁止する会社が存在するのか?僕はそこに“制度の硬直性”以上に、「変化への恐れ」があると感じます。もちろん、リモートワークの普及で勤務時間の把握が難しくなり、本業とのバランスを不安視する気持ちはわかります。また、情報漏洩や競業リスクもあります。でも、もっと根本にあるのは「社員が自由になることへの不安」ではないでしょうか。これまで会社が握ってきた“労働時間と報酬の独占構造”が崩れていくことへの無意識の抵抗。副業を許す=主導権が社員に移ることへの戸惑いなのかもしれません。副業は“血を入れる”こと──新しい刺激と再定義僕が副業に肯定的な理由のひとつが、そこにある“新しい血”です。同じ会社・同じ文化・同じ会議体──その循環だけでは、どうしても“内向きの均質化”が進んでしまう。採用や外部との連携を通じて新陳代謝を図るのと同じように、副業は「社員が自ら社外の刺激を取り入れる行為」になる。外の視点を持ち込むことで、会話が変わり、発想が広がり、組織に“風”が通る。これは組織の活性化にとって極めて重要なことだと思います。そしてもうひとつ、収入が本業一本でないことで、働く意味が変わるということ。生活を支える収入源が多様になることで、人は「この仕事をなぜやっているか?」を見直すようになります。やりがいや理念、仲間との関係性──お金だけじゃない価値に目が向くようになる。これは、結果的に本業に対する愛着や自律性を育てることにもつながるはずです。「本業をやれてこその副業」という誠実さとはいえ、副業にはリスクもあります。「副業ばかりに熱を入れて、本業がおろそかになるんじゃないか」──この懸念、僕はまっとうだと思います。実際にそうなっているケースも、少なからず見てきました。だから僕は、「副業は“本業がしっかりできている”人の特権だ」と考えています。本業には対価が発生しています。責任が生まれます。その責任を果たせて初めて、自由が得られる。副業という選択肢は、“本業の信頼を裏切らない人”だけに開かれるべきだと思うんです。つまり、副業解禁という自由は、同時に“個人の誠実さ”が問われる場でもある。自由を得ることは、甘やかされることではない。むしろ、選択肢が増えるからこそ、自分の信頼をどう積み上げていくかが重要になってくる。これは副業に限らず、すべての“自由の裏側”にあるテーマだと思います。「働く」とは、“時間の使い方”を選ぶこと副業の話をしながら、最後にたどり着くのはやっぱり「働くとは何か?」という問いです。僕は、“働く”とは「自分の時間をどう使うか」を決める行為だと思っています。人生の中で最も長く費やす「仕事」という時間。その時間を、誰に、何に、どんな価値観に預けるのか? その選択肢のひとつとして、副業はとても大きな意味を持つ。収入なのか、学びなのか、挑戦なのか、つながりなのか──。副業という自由があることで、自分にとって“働くとは何か?”という問いと改めて向き合える。それこそが、本業も副業も関係なく、「自分の人生を自分で引き受ける」第一歩になるのだと思います。働くとは、時間を誰に渡すかを決めること。その問いに正直に生きられる人が、きっと一番“自由に働いている”人なのだと、僕は思います。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です