こんにちは、おぐりんです。今日のテーマは「これからの住まい方」について。住む場所を選ぶという行為は、単に家賃や立地の条件を比べるだけの話ではありません。実はもっと根源的に、私たちがどんな人生を送りたいのか、誰とその時間を共有したいのか——そんな問いともつながっています。私たちが本当に求めているのは、心がやすらぎ、かつ前に進める“空気”。人との関係性や日々の営みを通じて、感情や価値観が響き合う場所。今回はそんな、「誰と、どんな空気の中で暮らしたいか?」という視点から、住まいの本質を掘り下げていきます。「住みたい場所」には、「人」と「ごはん」がある私にとって「ここに住みたい」と感じる場所は、物理的な条件より、そこにいる人と食の賞味があるかどうかで決まります。「人」は、空気感や安心の源になる絡りの中にあり、「ごはん」は、生活の質そのものを決める。この二つが自分の中で満たされている場所こそ、本当の意味での「住まい」の値があると思います。たとえ少し不便でも、心が温かくなったり、食べることで一日のエネルギーが満ちたりする——そんな日常が持てる場所を私は「住みたい場所」と感じます。「心がやすらぐ場所」だけでは足りないかつて私は1年弱ニュージーランドに住んでいました。住んでいる人も優しく、自然も豊かで、非常に心が安らぎました。でも、満足な精神状態がずっと続いたわけではなく、どこか物足りなさを感じていたのも事実です。それは、自分にとっての「分からないことを知りたい」「誰かと一緒に社会を前進させたい」という欲求が満たされなかったからです。やすらぎだけでは、自分が薄れてしまう。刺激がなければ、この手で作りたい今を生み出せない。日々の中に、新しい出会いや挑戦がないと、自分という存在の輪郭がぼやけてしまう。そんな感覚がありました。もちろん、ニュージーランドは本当に素敵な場所です。自分のペースで過ごしたい方には、心からおすすめできる場所だと思います。「挑戦する人」が集まる場所に自分もいたい結局のところ、私がいちばん心がうずくのは「挑戦している人」がいる場所です。成功しているかどうかは関係なく、誰かがなにかを目指して努力している。そのすがたに感化されることで、自分もしぜんと前に進もうとするエネルギーが湧いてきます。これは、地域や物理的条件というより、「場の文化をどう作るか」の話なんです。その空気の中で「自分も頑張りたい」と思える。そんな人の流れ、気の流れが、自分の暮らしの質を大きく左右していると感じます。「共創」こそ、住まいの本質最終的に私が求めているのは、地域に縛られない、共創的な場です。自分がだれかに動かされるのではなく、自分が転じ込み、転じ込まれる人間関係の中にいられること。そして、おいしいごはんもその一部。大都市の便利さと、地方のリソースを組み合わせながら、「誰と」を先に考える。たとえば、地方の豊かな食材に、都市の情報や技術が重なれば、新しい“暮らしの実験”ができるかもしれません。ただ「住む」だけでなく、「共に創る」という視点で場所を選ぶ。そんなイメージをベースに、住まいを考えるとき、最も大切なのは地図上の「どこか」ではないのかもしれません。「誰と、何を共に創るか」——この視点が、住まいの意味を変えていく気がします。日々の暮らしに共鳴があり、互いに触発しあえる関係がある場所。それが、私にとっての“本当に住みたい場所”です。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です