こんにちは、おぐりんです。今回は、現代美術家・村上隆さんのこの言葉から始めましょう。「アートは答えではなく、問いである。」──村上隆(現代美術家)この言葉には、アートとは何かを説明するものではなく、“問いかける行為”そのものだという本質的な視点が込められています。そしてこの視点は、アートに限らず、「事業づくり」「人との関係性」「社会との向き合い方」にまでつながっていく。今回は、「問い」を起点に、私たちの中にある“見えない構造”や“感じている違和感”に目を向けてみましょう。なぜアートがわからなかったのか私はもともと、美術館に行っても正直ピンと来ないタイプでした。ピカソの絵を見ても、「何がすごいの?」「どこが評価されてるの?」と、“答え探し”の脳で向き合っていたんです。でも今は違います。アートというのは、「なぜか惹かれる」「説明できないけど気になる」という曖昧さを抱きしめるもの。つまり、「答えをもらう」のではなく、「問いをもらう」体験なんだと気づいたんです。この捉え方に変わってから、美術館で過ごす時間がまったく変わりました。絵の前に立って、心が揺さぶられる。脳が勝手に連想を広げる。そして、気づけばフロー状態になっている。問いを受け取れるようになったとき、世界の見え方が変わるのだと実感しました。答えを探してもうまくいかなかった「事業」という現場この問いの感覚は、アートに限ったことではありません。私自身、事業をつくる過程の中で何度もぶつかってきました。「なぜ顧客は動かないのか?」「なぜこの人はこう思うのか?」「なぜこの課題が生まれたのか?」それらはどれも、“正解では解けない問い”の連続だったんです。でも問いを深めていくと、ふと見えてくる。たとえば、ユーザーの行動の裏にある感情だったり、チーム内の意思決定の奥にある価値観のズレだったり。氷山の水面下を少しずつ探っていくような感覚──“答え”ではなく、“問い”によってしか届かない領域がある。それは人間性であり、構造であり、文脈であり、社会そのものです。問いを立てるとは、事実を受け入れること私は今、こんな問いの姿勢を大切にしています。「すべてを、まず事実として受け止める」たとえばピカソの絵が世界的に評価されている。たとえ自分が共感できなくても、それは事実です。ある人が自分の提案を拒否した。その瞬間、自分は否定されたように感じたとしても、「その人が不快だった」という事実は変わらない。大切なのは、「なぜそうなったのか?」という問いを投げること。自分の思い通りでなくても、自分にとって不都合でも、その現象をまず“事実”として受け止めて、そのうえで問い続けていく。それが、私にとっての「アートのように生きる」ということです。まとめ:問いを持つというスタイルが、世界を広げてくれる村上隆さんの言葉──「アートは答えではなく、問いである。」この言葉は、アートの定義を超えて、「どう生きるか」という視座を与えてくれる一文だと思います。問いを持ち続けること。それは、すぐに答えを出さず、目の前の“わからなさ”に耐えること。そして、自分の前に現れた出来事を、「意味があるかどうか」で判断するのではなく、「どんな問いが立ち上がるか」で受け止めてみる。そんなスタイルで世界を見れば、アートのように、人生はもっと奥行きを持ち始めるのではないでしょうか。問いを手放さないこと。それが、今を生きる私たちのアートかもしれません。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です