
“努力しなさい”の代わりに──おぐりんが選ぶ、子どもとの向き合い方
公開日: 2025/6/24
こんにちは、おぐりんです。
「努力しなさい」
──この言葉、教育の現場でも、家庭でもよく聞きますよね。 でも本当にそれが、子どもの未来を育てる言葉なんだろうか?──この言葉、教育の現場でも、家庭でもよく聞きますよね。 でも本当にそれが、子どもの未来を育てる言葉なんだろうか?
今日は、この問いに向き合ってみたいと思います。
努力は“本人の意思”だけでは決まらない
僕がある動画でハッとさせられた言葉があります。
「努力は誰もがしている。ただ、その方向性が違うだけ。」
たとえば、家でじっとしている子も、学校で目立っている子も、それぞれの環境で必死にもがいているかもしれない。努力が見えるかどうかは、“見る側の立場”で決まる──そう気づいたとき、自分自身の育った環境を思い出しました。
社会的に経済的に恵まれた環境ではなかったけれど、みんな懸命に生きていた。逆に、東京の私立小学校に通う子どもたちは、当たり前のように勉強している。でも、そこにもまた別の苦しさがある。
「努力」は、本人の意志というよりも“その努力を許す環境”に左右される。それが僕の実感です。
「努力しなさい」という言葉の三つの出どころ
「努力しなさい」という言葉は、いろんな場所から聞こえてきます。
直接的な環境──親や先生の声
間接的な環境──社会や文化の空気
自分自身──内面化された理想像からのプレッシャー
この3つが絡み合うとき、人は「努力しなければならない」と感じます。
でも、その“しなければ”という重さが、逆に本人の自由や意欲を奪ってしまうこともある。
「矢印の向き」が違うだけで、努力してないように見える
僕自身、誰かに「努力しなさい」と言いたくなることもありました。
でも、よくよく考えると、本人は必死に努力している。ただ“矢印の向き”が違うだけなんです。
たとえば、富士山が東にあるのに、西に向かってどれだけ歩いてもたどり着けない。
それと同じで、努力の方向性が間違っていれば、どんなに頑張っても成果は見えない。
「努力してないように見える人」に必要なのは、叱咤ではなく、問いかけなのかもしれません。
「どこを目指してるの?」と。
「努力できる子」に育てるために必要なこと
僕は、2つの条件があると思っています。
Will──「こうなりたい」が言語化されていること
Success──小さな成功体験を積み重ねること
この2つが揃ったとき、努力は“自発的なもの”になります。
意志なき努力は、空回りしやすい。
成功なき努力は、続けにくい。
だからこそ、教育環境にはこの2つを育む仕掛けが必要なんです。
「一緒に地図を描こう」と言える関係
将来、自分の子どもに「努力しなさい」と言いそうになったとき、僕はこう言いたい。
「目的は何?今どこにいる?一緒に考えようか」
一方的に命じるのではなく、一緒に地図を描くように、目的と現在地を確認して、ステップを一緒に設計していく。
それが「努力しなさい」の代わりに、子どもに届けたいメッセージです。
あなたは、誰かに「努力しなさい」と言いたくなったこと、ありますか?
そのとき、相手の“矢印”や“Will”は見えていましたか?
今日の話が、誰かと向き合うときのヒントになれば嬉しいです。
本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です









































