こんにちは、おぐりんです。「『専門性』と『ジェネラリスト』、どちらが自分に合う?」この問いは、僕自身がずっと抱えてきたテーマです。一つの分野を深めて突き詰めることに、ずっと憧れを持っていました。でも、現実には「全部やりたい」「一個に絞れない」という自分の性質があって……。この記事では、専門性と多様性の狭間で揺れながらも、自分のスタイルを見つけてきた“おぐりん”という生き方について、正直に書いてみようと思います。専門家への憧れと、自分の距離感「専門性」と聞くと、僕はまず「かっこいいな」と感じます。一つの分野を極めて、その道で賞賛される。それは、まさに“ナンバーワン”の世界です。でも同時に、その世界には熾烈な競争があります。高みを目指す人たちの中で、突出し続けなければならない。そんな厳しさも知っているからこそ、僕は「そこでは戦えないな」と思ったんです。何か一つに没頭する対象が見つからなかった。それが、僕が「全部やる」スタイルを選んだ大きな理由かもしれません。「マルチ型」としての自己認識僕は、自分のスタイルにコンプレックスを感じてはいません。でも、最初に憧れたのはやっぱり専門性だった。技術で勝負するエンジニアや研究者のような、明快なスキル一本勝負の世界に惹かれていました。それでも、「自分が熱中できる一つ」を見つけられなかった。そのことに、どこか「逃げでは?」という感覚があったのも事実です。でも今は、それもまた“自分への誠実さ”だと思えるようになりました。「全部やる」中で得た、自分だけの専門性専門性って、比較対象がないと評価が難しい。初めて三ツ星フレンチに行ったとき、「美味しい」しか言えなかった自分がいた。それと同じで、専門的な世界の価値って、外からは見えにくい。僕は自分を専門家だと思ったことは一度もありません。でも、たとえばエンジニアとして、詳しくない人から「できるね」と言われることはある。ただ僕は、自分の実力がどれほどかを理解している。「到底プロとは言えない」──そう思えるだけの現場経験がある。この「自己位置を正確に把握する感覚」こそ、僕の専門性なのかもしれません。「1を超える」力の掛け算何かを語るとき、「少なくともスタンダードは超えていたい」と思っています。0を掛けたら何を掛けても0。1を超えるものが複数あって、それらを掛け合わせてこそ“おぐりん”の価値が生まれる。たとえば、教育×AI×内省──この3つの組み合わせが、僕の活動の基盤です。「教える」のではなく、「共に内省する仕組み」をAIでつくる。これは、エンジニアリングの力だけでも、教育の視点だけでも実現し得ない世界観です。“専門家じゃない自分”だからこそ、創れる価値専門性がないことを嘆くよりも、「自分だから作れる仕組み」に目を向けるようになりました。・技術があるから、AIの仕組みを作れる・教育観があるから、人の成長を考えられる・内省への感度があるから、問いを深められるこの3つがすべて“1を超えている”からこそ、重なったところに新しい価値が生まれる。そして何より、自分が「信じられる」問いを、他者と共有できること。これが、マルチな僕が社会に提供できる最大のギフトなんじゃないかと思います。あなたは、どんな“1”を持っていますか?もし今、自分の専門性に迷っていたら、「掛け合わせる」という視点で見直してみてください。あなたにしか創れない組み合わせが、必ずあるはずです。その道を歩む仲間として、僕もあなたを応援しています。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です