こんにちは、おぐりんです。「“本当の自分”って、何層あると思う?」ふとそんな問いを自分に向けたとき、私の中にいくつもの顔が浮かびました。日常の自分、人前で話すときの自分、ふざける自分──どれも確かに“自分”なのに、全然ちがう表情をしている。「これが本当の自分じゃないな」と思うこともあります。でもそれは、嘘をついてるわけじゃなく、状況に合わせて立ち現れる“別の層”なんですよね。自分には、重なりあうレイヤーがあるこれまで私は、“二面性”くらいにしか考えていなかったのですが、実際はもっと複雑で、もっと柔らかい構造なんだと思います。「誰にも見せない自分」もあれば、「目の前の誰かのために演じている自分」もいる。でもどのレイヤーの自分も、それなりに“本物”で、それぞれの場面で意味がある。大事なのは、そのなかに“にじんでいる何か”があるかどうか──つまり、どの自分であってもブレずに流れている「自分の軸」があるかどうか、なのかもしれません。にじむ軸。それは“自分の正義感”私にとってその軸は、「自分の正義感を貫こうぜ」という思いです。対人において、誠実でありたい。人に嘘をついたり、騙したりしたくない。自分が気持ちよくないと思うお金の稼ぎ方はしない。そうしたルールは、完璧に言語化されていない部分もありますが、行動や判断には確かににじんでいると思います。それは、「理想の自分」ではなく「実際の自分」の中に宿っていて、だからこそ、無理なく“どの層”にも現れるんです。演じることは、嘘じゃない私は演じることを否定していません。というか、むしろ必要だと思っています。場に応じて自分のテンションや語り方、態度を調整する。それは“演じている”のではなく、「どうありたいか」を表現している一つの方法だと思うからです。むしろこだわりのない部分は、意識的に変えていける方が健全なのかもしれません。だからこそ、自分の“核”だけは見失わないように、静かに貫いていたいのです。多層でもいい。にじんでいれば、それでいい「自分って、よくわからない」「本当の自分が見えない」そんなふうに感じるとき、私たちは“単層の自分”を探そうとしているのかもしれません。でもきっと、私たちは“重なりあう多層の存在”で、そのどれもが“本物”なんです。大事なのは、それぞれの層に、自分の軸がにじんでいるかどうか。その軸がにじんでいるなら、どんなに多層でも、それはブレていないということ。それが、私にとっての「自分らしさ」ではなく、「自分の根」なのだと思います。今日もどこかで、いくつもの自分を演じながら、でも一本だけは曲げずに生きている。それが、自分を信じるということなのかもしれません。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です