
頭で話し、心で決める。“ズレ”に気づいて見えてきた、自己調律のかたち
公開日: 2025/7/26
こんにちは、おぐりんです。
「あなたって◯◯な人だね」
そう言われたとき、なぜか素直に喜べなかった──そんな経験、ありませんか?
私は大学生の頃、インターン先の方にこんなふうに言われたことがあります。
「あなたは感情が強く出る。でも、他人の感情は受け止める姿勢がないね。」
それは褒めでもなければ、明確な否定でもない。“評価と指摘”が混ざったような言葉でした。
そして私は、その言葉に強く引っかかった。
「たしかに…」と思う一方で、「それだけじゃない」とも思ったんです。
熱で動き、理で語る。自分の“構造”にあるズレ
私は、自分の中に“心”と“頭”が共存しているのをよく感じます。
なにかに惹かれるとき、動いているのは心。ワクワクするかどうか、衝動に突き動かされて動くことが多いんです。
でも、人と関わるとき、言葉になるのは“頭”の声なんですよね。
誰かにフィードバックをするとき、感情より先に論理が出る。だからきっと、「冷たく見える」瞬間もあったんだと思います。
少年のような心、お父さんのような頭
このズレはずっとあったし、正直、しんどさもありました。
「やりたい」と思っているのに、頭では「それ本当に意味あるの?」と問いが止まらない。
だからこそ、衝動で動いて後悔したこともあれば、頭で抑えて後悔したこともある。
私は最近、自分の中に“少年のような心”と“お父さんのような頭”がいるんだと思うようになりました。
やりたいことを叫ぶ少年と、それを冷静に見ている大人。
どちらも、私にとって欠かせない存在です。
自己調律という対話
あのときの指摘は、今振り返ればとても大切な転機でした。
ロジカルに褒め、ロジカルに意見を伝える自分。
でも、その言葉には、自分の心がのっていなかったりする。
だから今は、できるだけ“両方の声”を聞くようにしています。
感情が走ったら、一晩寝かせる。
ロジカルに納得しても、ワクワクしているかを確かめる。
頭と心が対話できるようになったことで、以前よりもずっと、自分の言葉に温度が乗るようになった気がします。
どちらかではなく、両方を持っていい
評価と自己認識のズレ。
それに気づいたとき、私たちは“自己調律”のスタートラインに立てるのかもしれません。
「これは違う」ではなく、「それもある。でも、私はこう思っている」
そんなふうに、他者の鏡を使いながら、自分のかたちをなぞっていく。
あなたの中にも、“少年の心”と“お父さんの頭”がいませんか?
どちらも、あなたという人をつくっている大切な一部。
そのバランスを感じながら、自分だけの“在り方”を育てていきましょう。
本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です










































