
勝てる戦しかやらなかった僕が、“勝ち抜く人生”に挑みはじめた。恐れを越えて、長い時間軸で生きるという選択。
公開日: 2025/7/28
こんにちは、おぐりんです。
「“今とまったく違う生き方”をするとしたら、何が浮かびますか?」
そんな問いを投げかけられたとき、私の中にふっと現れたのは、これまでずっと避けてきた“勝てないかもしれない戦い”の景色でした。
正直に言えば、私はこれまで「勝てる戦しかやらない」ように生きてきました。
それは自信があるからではなく、自己肯定感が傷つくのが怖かったからです。プライドが高いぶん、自分ができないことを突きつけられるのが怖かった。
だから無意識のうちに、負ける可能性がある場所には近づかず、「自分がコントロールできる範囲の中で勝つ」ことに集中してきた。自分を守るための“賢い生き方”だったと思います。
でも、ふと気づいたんです。
いま、自分が立っている場所は、まさに“勝てる保証のない戦いの中”だということに。
憧れたのは、「絶対に勝てない」と思われても挑み続ける姿
思い返せば、そんな自分に少しずつ疑問を持ち始めたのは、ある一人のサッカー選手の姿を見たときでした。
高校時代はベンチにすら入れなかった。
だけど、大学で頭角を現し、いまはJ1のピッチに立っている。
“全然勝てない”状況でも、腐らずに挑み続けた姿が、まぶしかった。
私はといえば、「ここは勝てそうだ」「これは自分に合ってる」と思える場所を選び続けてきた。
勝てないかもしれない戦いに“意地でも勝つ”という覚悟を、自分は持てていたか?
長い時間軸で考えるということ
高校生の頃は、「いま勝てなければ意味がない」と思っていた気がします。
その瞬間その瞬間で勝てるかどうか、がすべてだった。
でも、今は少しだけ考え方が変わってきました。
「たとえ今は勝っていなくても、10年後、20年後に『あのときの挑戦があったからこそ』と思えたら、それでいいんじゃないか」と。
創業して、事業を育てようとしている今。
理想として描いていた世界とはまだ遠いし、数字や社会的評価として“勝っている”とは言えないかもしれない。
それでも、「この道を貫くことで見える世界がある」と信じて続けている。
勝ち抜く人生とは、勝ち続けることではない
たぶん、今の私は“勝ち続けている人間”ではない。
でも、“勝ち抜こうとしている人間”ではある。
それは、かつての自分が最も避けていた生き方かもしれません。
だけど、そうやって逃げてきた自分に対して、今の私は少しだけ誇れる気がしています。
勝てる戦を選び続けた先にあるのは、安全な道かもしれない。
でも、勝てないかもしれない戦に飛び込んだ先にあるのは、きっと“深く生きた証”です。
まとめ:人生の最後に「勝ち抜けた」と言えるために
結果よりも、「自分はこの戦いをやり抜いた」と胸を張れること。
それが、いまの私にとっての“勝利”の定義です。
いつか人生を振り返ったとき、「あのとき、勝てないかもしれないのに挑んだ自分がいた」と言えたなら、それはとても幸福なことだと思います。
だから今日もまた、“勝てるかどうか”よりも“自分がどうありたいか”を問いながら進んでいきます。
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