こんにちは、おぐりんです。「“今とまったく違う生き方”をするとしたら、何が浮かびますか?」そんな問いを投げかけられたとき、私の中にふっと現れたのは、これまでずっと避けてきた“勝てないかもしれない戦い”の景色でした。正直に言えば、私はこれまで「勝てる戦しかやらない」ように生きてきました。それは自信があるからではなく、自己肯定感が傷つくのが怖かったからです。プライドが高いぶん、自分ができないことを突きつけられるのが怖かった。だから無意識のうちに、負ける可能性がある場所には近づかず、「自分がコントロールできる範囲の中で勝つ」ことに集中してきた。自分を守るための“賢い生き方”だったと思います。でも、ふと気づいたんです。いま、自分が立っている場所は、まさに“勝てる保証のない戦いの中”だということに。憧れたのは、「絶対に勝てない」と思われても挑み続ける姿思い返せば、そんな自分に少しずつ疑問を持ち始めたのは、ある一人のサッカー選手の姿を見たときでした。高校時代はベンチにすら入れなかった。だけど、大学で頭角を現し、いまはJ1のピッチに立っている。“全然勝てない”状況でも、腐らずに挑み続けた姿が、まぶしかった。私はといえば、「ここは勝てそうだ」「これは自分に合ってる」と思える場所を選び続けてきた。勝てないかもしれない戦いに“意地でも勝つ”という覚悟を、自分は持てていたか?長い時間軸で考えるということ高校生の頃は、「いま勝てなければ意味がない」と思っていた気がします。その瞬間その瞬間で勝てるかどうか、がすべてだった。でも、今は少しだけ考え方が変わってきました。「たとえ今は勝っていなくても、10年後、20年後に『あのときの挑戦があったからこそ』と思えたら、それでいいんじゃないか」と。創業して、事業を育てようとしている今。理想として描いていた世界とはまだ遠いし、数字や社会的評価として“勝っている”とは言えないかもしれない。それでも、「この道を貫くことで見える世界がある」と信じて続けている。勝ち抜く人生とは、勝ち続けることではないたぶん、今の私は“勝ち続けている人間”ではない。でも、“勝ち抜こうとしている人間”ではある。それは、かつての自分が最も避けていた生き方かもしれません。だけど、そうやって逃げてきた自分に対して、今の私は少しだけ誇れる気がしています。勝てる戦を選び続けた先にあるのは、安全な道かもしれない。でも、勝てないかもしれない戦に飛び込んだ先にあるのは、きっと“深く生きた証”です。まとめ:人生の最後に「勝ち抜けた」と言えるために結果よりも、「自分はこの戦いをやり抜いた」と胸を張れること。それが、いまの私にとっての“勝利”の定義です。いつか人生を振り返ったとき、「あのとき、勝てないかもしれないのに挑んだ自分がいた」と言えたなら、それはとても幸福なことだと思います。だから今日もまた、“勝てるかどうか”よりも“自分がどうありたいか”を問いながら進んでいきます。本記事は、「コラム記事の達人」を活用し、録音した音声データから約10分で作成しています。「コラム記事の達人」は、nukumo社が提供する業務改善ツール「Aidia」の一機能です