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1992年8月9日、福岡県生まれ。
一般社団法人nukumo代表理事。

親ガチャを“目的”に変える力。悲しさから始まり、尊厳へたどり着く言葉の使い方

公開日: 2025/7/31

こんにちは、おぐりんです。

親ガチャ」という言葉、あなたはどう受け止めていますか?

私がこの言葉を初めて聞いたとき、率直に「悲しい社会だな」と感じました。

たしかに、子どもは親を選べません。どんな家庭に生まれるかによって、人生のスタート地点に格差が生まれる
──これはもう、どうしようもなく現実にあることだと思います。

けれど私は、そこにひとつの違和感も抱いていました。

それは、「その言葉を“自分の口で言うか?”」という感覚。

親ガチャという言葉の奥にある、足らればと感謝の交差点

私は決して裕福な家庭に育ったわけではありません。
でも、人間として大切なことを教えてくれた親には、今も感謝しています。

もちろん、「もし別の家庭だったら…」と思ったこともあります。
もっと自己肯定感が高かったかもしれない。もっと別の夢を持てたかもしれない。

でも、そうした“足られば”は、今の私をつくってくれた環境を否定することにもなる。

だから私は、「環境をどう語るか」はすごく慎重でありたいと思っています。

声にならなかった叫びを、どう拾うか

それでも、「親ガチャ」という言葉が生まれた背景には、声にならなかった子どもたちの“叫び”があることも確かです。

苦しい家庭環境に生まれた子どもたち。虐待や貧困の中で、選択肢を持てないまま育つ現実。

それを言語化したこと自体には、大きな意味があります。

でも私は、そこに“教育”という視点を重ねたいんです。

どんなに苦しい環境であっても、「こういう親のもとに生まれた子がいる」という理解が、他者への共感を育てる。

そして、教育はその“痛み”を「意味のある力」へと変える選択肢を渡すものだと思っています。

原因論ではなく、目的論で生きる

心理学者アドラーは、こう言いました。

人は環境の産物ではなく、環境に与える意味の産物である。

私はこの考えに強く共感しています。

どんな家庭に生まれたかは、もう変えられません。
でも、その体験を“どう捉えるか”は、これから選びなおすことができます。

だから、「親ガチャだった」と語ること自体が悪いのではない。

問題は、それを「だからもう仕方ない」と諦めの理由にしてしまうこと。

私たちは、「だからこそ、こうしたい」と語り直す力を持てるはずです。

言葉は壁にもなるが、入り口にもなる

「親ガチャ」という言葉は、確かに壁のようにも見える。
でも、もしそれを“再定義する入り口”にできたなら?

「親ガチャだった。でも、だからこそ優しさを知った」
「親ガチャだった。でも、だからこそ社会を変えたいと思った」

そんなふうに、言葉を“未来への目的”に変えていけたら。

私は、教育という営みはそのためにあるのだと信じています。

どんな出自であっても、子どもたちが「自分の人生をどう語るか」を選び直せるように。

それができる社会でありたいと、心から願っています。

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親ガチャを“目的”に変える力。悲しさから始まり、尊厳へたどり着く言葉の使い方

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