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1992年8月9日、福岡県生まれ。
一般社団法人nukumo代表理事。

安心と自由の境界線。監視社会に向き合う“現実的な倫理”とは。

公開日: 2025/8/6

こんにちは、おぐりんです。

最近、街中の至るところにカメラがあることに気づきませんか?
顔認証、位置情報の追跡、購買履歴の収集……かつてSFのように描かれていた社会は、すでに現実になっています。

「監視されること」への不快感や不安の声も聞こえる一方で、それによって事件や事故が早期に解決されたという話も増えています。

では、私たちはどこまで“監視される社会”を許容できるのでしょうか?

カメラがあるからこそ守れるものがある

正直、私はもっと監視カメラが増えてもいいと考えています。

事件やトラブルが起きたときに、証拠がない、手がかりがつかめない──そうした状況を減らせるなら、それは社会にとって大きな武器になるはずです。

もちろん、プライバシーの問題は無視できません。
でも大切なのは、「誰が・どのような状況で・どう使うか」という制度設計です。

事故や犯罪が起きたときだけアクセスが許される、というルールを徹底すれば、監視の力はむしろ人々を守る存在になれると思うんです。

便利さと引き換えに、私たちは何を手放している?

便利さの裏には、確かに“見えない制約”もあります。

たとえば、スマホの位置情報や検索履歴。どこにいて、何を見て、何を買ったか。
これらのデータが蓄積され、知らない誰かに活用されている可能性がある。

でも私は、そうした技術が「個人を特定すること」とは別の話だと思っています。

実際、民間企業では個人が特定されないよう厳しく管理されていますし、顔認証もあくまで“誰か”を識別する手段であって、“あなた”を見ることではない。

その前提があるからこそ、私は便利さを享受する方を選びたい。

問題は“使う側の透明性”と“使われる側の理解”

私たちが不安を抱くのは、監視されることそのものではなく、「知らないうちに使われている感覚」ではないでしょうか?

だからこそ、運用のルールや監視の目的が明示されていることが何よりも大切。

そして、私たち自身も「何が収集され、どう使われているか」を知ること。

技術が進化するほど、人間側の倫理と学びが必要になるのだと思います。

監視は、管理ではなく“信頼の設計”

国家や企業が責任を持って情報を守り、必要なときにだけ活用する──それが信頼のベースになる。

私は「安心」と「自由」はトレードオフではないと思っています。

ちゃんと運用の設計がなされていれば、両立は可能です。

むしろ、社会全体が“見守られている”という状態があるからこそ、日々の自由や安心が保たれる側面もある。

問いかけ:あなたは、どこまでを許容できますか?

誰かに監視されているかもしれないという不快感。
でも、それが誰かの安全や自分の未来を守ってくれるものだったとしたら?

技術の進化に、私たちの倫理と理解が追いつけるか。

その境界線を考えることが、これからの「安心な自由」をつくる第一歩なのかもしれません。

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