
大学は無償であるべきか?──では、その価値は本当にあるのか?
公開日: 2025/8/12
こんにちは、おぐりんです。
「教育の無償化は、どこまで進めるべきか?」
そんな問いが社会に広がる中で、私はふと立ち止まってしまいます。
授業料だけでなく、給食、制服、教材、交通費……。中には大学まで無償化すべきだという声もある。
でも本当に必要なのは、「どこまでお金をなくすか」ではなく、「どこに時間とお金を投資する価値があるのか」を問い直すことなのではないでしょうか。
私立の無償化には、納得できない理由がある
正直に言えば、私は私立の学校まで国費で無償化すべきとは思っていません。
公立・国立の小中高大までは、最低限、すべての人に開かれた教育として無償化していく方向には賛成です。
でも、私立の学校まで一律に支援を広げることには、「それって本当に社会が支えるべき学びか?」という疑問が拭えません。
そもそも今、大学の数が多すぎると思っています。
ただ時間を過ごす場所になっている大学に、税金を投入する意味はどこにあるのでしょうか。
“価値ある環境”にこそ投資するべきだ
私が理想とするのは、「何かの分野で本当に優れた人たち」が集う場としての大学です。
スポーツでも、プログラミングでも、芸術でもいい。
一つの領域で突出した努力や才能がある人たちが、互いに混ざり合う場所。
そんな多様な交差点こそが、未来を動かす場所になっていくと思うのです。
だからこそ、その“価値ある環境”を無償にして開いていく。
これこそが「教育にお金を使う意味」ではないでしょうか。
勉強がすべてじゃない。でも線引きは必要
もちろん、勉強だけが人生の評価軸ではないと思っています。
でも、国が税金を投下して学びの環境を整える以上、どこかで“線引き”は必要です。
たとえば、「大学に入るまで頑張った人たち」へのリターンとして無償化があるのは、納得感があります。
入れなかったとしても、それで終わりではありません。
社会に出て、経験を積んで、別の場所で価値を生み出していく道もいくらでもあります。
その逆転が起こりうるのが人生ですから。
問うべきは「無償化の是非」ではなく、「何に未来があるか」
私は、教育の無償化そのものを否定しているわけではありません。
でも「どこまで無償にするか?」という制度の話の前に、「その学びは本当に未来をつくるものか?」という問いを置くべきだと感じています。
価値のないものを無償にすることは、税金の使い道としても、子どもたちの未来への責任としても、慎重であるべきだと思うからです。
まとめ:無償化は“制度”の話じゃない、“価値の選択”だ
大学を無償にするかしないか。
その議論の前に、私たちは「大学という場所にどれだけの価値があるか」を、もう一度問い直す必要があります。
国が守るべきなのは、学びそのものではなく、「社会にとって本当に必要な学び」ではないでしょうか。
時間をかけるに足る環境。
お金をかけるに足る価値。
それを見極めたうえでの無償化こそが、未来のための投資になると、私は思うのです。










































