こんにちは、おぐりんです。「コミュニティマネージャーは信頼されるべきか?」そう問われたとき、私は少し違和感を覚えます。なぜなら、その人が信頼されなければ成り立たない時点で、もうコミュニティとして破綻していると感じるからです。嫌いなコミュニティマネージャーのいる場に、わざわざ行きたい人はいない。これは大前提です。ただし本質的には、コミュニティが“ある人物の存在”に依存してしまうこと自体にリスクがあると思うのです。マネジメントされない関係性私にとって理想的なコミュニティは、「マネジメントされなくても成り立つ場」です。なぜなら、関わる人たちが同じ価値観や目指す方向性を共有しているからです。大切なのはルールではなく、旗を立てること。旗とは「これを目指そう」という合意の象徴です。その旗があれば、コミュニティは自然とまとまります。指示や細かい制度がなくても、矢印が揃っていれば人は動き続けられるのです。強いコミュニティをつくる旗会社も同じで、社長が旗を立てるからこそ人が集まり、そこを目指して動ける。けれど、本当に強い組織とは、仮にその社長がいなくても、旗をアップデートできる人が存在する組織です。さらに言えば、旗は抽象的であるほど強い。売上やユーザー数といった数値ではなく、旗を見上げたときに「うわ、こんな社会になったんだ」と感じられる未来の絵であること。そのto beの姿が描けるかどうかが、コミュニティの持続力を決めるのだと思います。旗の意味を問い続ける文化旗は一度立てたら終わりではありません。誰かがその意味を問い直し、再定義することすら許される。その柔らかさがあるとき、コミュニティは生き物のように進化していきます。つまり、コミュニティを強くするのは「旗を立てる人」ではなく、旗の意味を語り合える文化なのだと思います。まとめコミュニティは、指示や制度では動きません。人を動かすのは、価値観とビジョンです。旗が掲げられ、その旗の意味を誰もが語り直せる状態。そこにこそ、“マネジメントされないコミュニティ”の強さが宿ります。