
夢の矢印は自分から始まり、他者に溶けていく
公開日: 2025/10/5
こんにちは、おぐりんです。
「一人で見る夢は夢でしかない。皆で見る夢は現実だ」
──ジョン・レノン
この言葉、どこかで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
この言葉に出会ったとき、僕は思いました。
「うわぁ、そうだよね」って。
というのも、僕の中にある夢って、いつも“誰かと一緒に”の前提があるんです。
たとえば今、仲間と共に夢を追いかけている動画メディア「Footballcoach」もそう。僕一人では絶対に実現できなかったし、その輪の中で、僕の中の夢も形を変えて育っていってる。
でも、最初からそうだったわけじゃありません。
むしろ、昔は“夢”という言葉が、もっと個人的で閉じた世界のものだと感じていました。
小さな夢から始まった
子どもの頃の夢って、もうちょっと単純だった気がします。
パン屋さんになりたい。サッカー選手になりたい。ゲームが欲しい。
あるいは「今日の授業、聞きたくない」みたいな、小さなWANTも夢の一つだったかもしれません。
その頃は、夢の矢印は完全に「自分 → 自分」。
でも、その小さな願望をひとつずつ拾い上げていく中で、ある変化が訪れました。
「誰かが喜んでくれる」
「誰かのためになった」
そんな瞬間のほうが、自分の幸福度がずっと高かったことに気づいたんです。
自分の行動や発言が、他者の感情にポジティブな波紋を生む──それが、予想以上に嬉しかった。
そして、「あ、夢って一人で完結しなくてもいいんだな」と感じるようになりました。
欲求の矢印が、外に向きはじめた
いつしか、夢の矢印は自分から外へ、他者の方向に伸びていきました。
もちろん、根っこには自分の願望があるんです。
「自分がこうしたい」「こんな世界を見てみたい」という衝動は今もあります。
でもその先には、必ず「誰か」がいた。
誰かと一緒に何かをつくること。
誰かの「ありがとう」を受け取ること。
誰かの笑顔のきっかけになること。
そして、僕が一番嬉しい言葉は、今も昔も変わらず「おかげで」「おかげさまで」。
この言葉に出会えるとき、あぁ、自分の存在が誰かの中に“溶け込んだ”んだなと感じるんです。
まるで、自分が他者の人生のページにそっと登場人物として加わるような感覚。
夢は変わっていく。でも、それでいい
みんなと見る夢って、共有するからこそ豊かになるけれど、同時に、自分が思い描いていた形とは少しずつズレていくこともあります。
でも、僕はそれを恐れなくなりました。
なぜなら、そのズレや変化こそが「他者と混じり合っている証」だから。
むしろ、自分一人で完結する夢よりも、他者の影響を受けながら変化していく夢のほうが、ずっとしなやかで、生きている実感がある。
たとえば、最初は「カフェをつくりたい」という願いだったものが、関わる人たちと語り合ううちに、「居場所をつくりたい」という願いに変わっていく。
そのプロセスにこそ、夢の“育ち”がある気がします。
小さなWANT、大きな夢。どちらも必要
もちろん、「今日アイスを食べたい」みたいな自分だけの小さな夢も大切です。
それがないと、そもそも前に進めないし、消耗してしまう。
僕自身、日々の暮らしの中で小さなWANTを大事にするようにしています。
「今日ちょっとだけのんびりしたい」
「新しい本を1冊読んでみたい」
「久しぶりにあの人に会いたい」
こうした欲求をちゃんと拾って、叶えていくこと。
それが、気力や創造力の源になる。
でも同時に、「誰かの役に立てた」「みんなで場をつくれた」みたいな体験が、自分の深い部分に幸福をもたらしてくれる。
この両輪があるからこそ、僕は前を向いて進めるんだと思っています。
大きな夢を語るには、日常の積み重ねが必要で、小さな夢を叶えることで、自分の中に確かな手応えが生まれる。
夢は、関係性のなかで現実になる
ジョン・レノンの言葉が響くのは、それが単なる理想論じゃないからです。
夢は“語る”ものでも、“証明”するものでもない。
夢は“誰かと動く”ことでしか、現実にはならない。
誰かと心を通わせ、何かを一緒にやってみる。
そこに夢の芽が生まれる。
芽が出たら、水をやる。
水をやるのは自分だけじゃなく、周りの人たちも同じように関わってくれる。
そうやって育った夢には、根っこがある。
風が吹いても倒れない。
自分だけじゃなく、みんなの中にも根ざしているからこそ、夢は現実になるんだと思います。
だから僕は、今日も小さなWANTを大事にしながら、誰かと夢を見ていたいと思うのです。
さて──
あなたにとって、「今の夢」は何ですか?
その矢印は、どこに向いていますか?
あなたの夢が、誰かの人生にも静かに溶け込んでいくかもしれません。
それって、とても素敵なことだと思いませんか?











