こんにちは、おぐりんです。「心理的安全性」という言葉が、あちこちで聞かれるようになりました。でもその一方で、こんな場面を見かけることがあります。──相手を傷つけたくないから、言いたいことを飲み込む。──波風を立てないように、違和感をやり過ごす。それ、本当に「安全」なんでしょうか?心理的安全性とは「優しいこと」ではない。むしろ、“率直であること”にこそ、その本質があるのではないかと、僕は思っています。心理的安全性とは「率直さ」のこと尊敬する心理学者、エイミー・エドモンドソンの言葉があります。Psychological safety is not about being nice. It's about candor.心理的安全性とは、優しさではなく率直さのことだ。この言葉を初めて見たとき、胸の奥がスッと整う感覚がありました。「言いたいことを飲み込むやさしさ」は、確かにその場を守っているように見えます。でもそれは、摩擦を避けるための静かな妥協でもあります。誰も傷つかないけれど、誰も本音を言えない。そんな“優しさの皮をかぶった停滞”が、僕らの場を覆ってしまうことがある。言いたいけど言えない葛藤僕自身、そういう空気に何度ももやもやしてきました。「これは違う」と思っても、場を壊すことが怖くて、言えなかったこと。逆に、思い切って言葉にしてみたら、相手との信頼が深まったこと。心理的安全性とは、「何を出しても大丈夫」というエネルギーの循環。優しさだけではつくれない。素直さや率直さがあってこそ、はじめて生まれるものだと実感しています。「伝え方の順序」が文化をつくるもちろん、「言えばいい」というものではありません。伝え方や順序を間違えれば、相手を傷つけたり、場の空気を奪ってしまうこともあります。たとえば僕は、つい自分の素直さを優先してしまいがちです。「ちゃんと伝えたい」と思うあまり、先に自分の気持ちを出してしまって、結果的に相手が萎縮してしまったことも、何度もありました。だからこそ最近は意識しています。──まずは、相手の存在を承認すること。──そのうえで、自分の思いを率直に伝えること。この「順序」こそが、心理的安全性の土台なんじゃないかと思うんです。率直さは“往復”で育てるもの人と人が言葉を交わすとき、感情の往復が必ずあります。「伝える → 揺れる → 受けとめる → 伝え返す」その反復のなかでしか、安心感や信頼って育たない。率直さとは、一瞬の勇気ではなく、何度も往復する対話のプロセス。ときには、率直な言葉が場を揺らすこともあります。でも、揺れたからこそ見えてくる関係の地盤や、深まる信頼もある。あなたは、優しさと率直さ、どちらを選びますか?だからこそ、僕は思います。「優しさ」と「率直さ」は、どちらかを選ぶものではない。両方のバランスを取りながら、その場ごとの“最適な順序”を見つけていくこと。それが、「言いたいことが言える場」を育てる第一歩なんじゃないかと思うんです。あなたは最近、“言えなかったこと”がありますか?その沈黙は、優しさの顔をした、ただの我慢かもしれません。