こんにちは、おぐりんです。Le pessimisme est d'humeur; l'optimisme est de volonté.悲観主義は気分によるもので、楽観主義は意志によるものだ。このアランの言葉、どこかで耳にしたことがある方も多いかもしれません。短く、端的で、それでいて人の心に深く刺さるフレーズです。でも、最近になってようやく、この言葉の本当の意味が体感としてわかるようになってきました。頭ではなく、身をもって理解するようになったという感覚に近いです。僕はこれまで、基本的にとても楽観的な人間でした。「どうにかなる」と信じて動き続けるタイプ。自分の中にある「何とかする力」を信じて生きてきた。でも、この5年ほどは、そんな自分でも“どうにかならない時期”が続いた。仕事もうまくいかず、人間関係でも行き違いが重なっていく。まるで長い梅雨のように、雨の日が続いた感覚でした。そんなとき、自分の中の“楽観”がどんどん薄れていくのを感じたんです。その経験の中で、僕は改めて考えました。「意志としての楽観主義」とは何なのか。 そしてそれは、“結果を信じること”ではなく、“プロセスを信じ続けること”なんじゃないかと気づいたんです。意志としての楽観とは、「プロセスを肯定し続ける力」アランの言葉を借りるなら、悲観は気分の問題であり、楽観は意志の問題です。気分は天気のようなもの。晴れる日もあれば、嵐が続く日もある。自分ではどうにもならない“外の要因”によって揺れ動くものです。どんなに前向きな人でも、雨が何日も続けば、心は少しずつ沈んでいく。だから、悲観は決して悪いことではなく、人間として自然なことなんだと思います。一方で、意志というのは筋肉のように思われがちですが、僕は少し違うと感じています。意志は「プロセスを肯定できる力」なんだと思うんです。結果が出なくても、「このやり方でいい」と信じられるか。途中の過程を、自分なりに意味づけられるか。そこにこそ“意志としての楽観”がある。つまり、意志とは結果ではなく、プロセスへの信頼です。結果がまだ見えない中で、それでも進もうと思える心の在り方。それが意志なんだと思います。連続する失敗が侵食するのは、「プロセスへの信頼」ただし、ここにひとつ落とし穴があります。どんなにプロセスを信じていても、結果が何度も裏切ると、人はその信頼を失っていく。10回に1回の成功なら耐えられる。でも30回連続で失敗したら、さすがに信じることが難しくなる。人間は、どんなに強くても、永遠に前を向き続けられるわけではありません。それが「気分としての悲観」が、「意志としての楽観」を侵食する瞬間です。失敗が続くと、人は“自分の選択”や“やり方”そのものを疑い始めます。「この道でよかったのか」「自分には向いていないんじゃないか」と。そうして、プロセスの肯定ができなくなっていく。意志が弱まるのではなく、意志の支えとなる根拠が薄れていくのです。そしてそのとき、人は初めて“自分の意志が試されている”と気づくのかもしれません。意志は成功体験からだけでは育たない多くの人は、「意志は成功から生まれる」と思っています。確かに、成功体験は自信や肯定感を強化してくれます。でも、それだけでは足りないと感じます。僕はむしろ、“意志はプロセスの肯定から生まれる”と思っています。失敗が続いても、「やっていること自体に意味がある」と感じられるかどうか。たとえ結果が伴わなくても、「この道を選んでよかった」と思える瞬間があるかどうか。そうした“プロセスの肯定”は、必ずしも華やかな成功ではなく、静かな納得の中に宿るものです。例えば、誰かに支えられた経験。挑戦の中で見えた小さな変化。あるいは、逃げずに向き合った日々の積み重ね。そうした小さな肯定の断片が、人の中で“意志”という筋肉を形づくっていくのだと思います。その肯定が、自分を再び立ち上がらせる原動力になる。意志とは、プロセスを信じ直す力なんです。成功よりも、「まだ信じられる自分」を取り戻す力のほうが、ずっと尊いと感じます。人を育てるのは、意志ではなく“天候”であるそしてこの考えは、教育や組織にも通じる話です。意志が弱い人を責めるより、まず“気分=環境”を整えること。嵐の中で頑張れと言っても、誰だって折れてしまう。だからこそ、雨をしのげる屋根をつくること、晴れの日が増えるような環境を用意することが大事なんです。人が自分を信じ直せる空間。安心して試行錯誤できる関係性。そういう“天候”の中でこそ、意志は再び育っていく。僕は経営者として、チームを見ていてもそう感じます。人は、自分の気分が守られているときにこそ、意志を取り戻せる。励ましの言葉ひとつ、信頼のまなざしひとつが、誰かの“もう一歩”を支えることがある。意志を育てるとは、気分を整えること。人を支えるとは、そういうことだと思うんです。責任を伴う楽観主義へ僕は「どうにかなる」と言うだけの楽観主義ではなく、「どうにかする」という意志を持った楽観主義を信じています。気分に左右されず、プロセスを信じる意志。結果が出ないときも、「この道の上で生きている自分」を信じる覚悟。それが、僕の考える責任を伴う楽観主義です。責任を伴うとは、楽観を他人任せにしないということ。誰かが晴れにしてくれるのを待つのではなく、自分の内側から灯りをともすこと。小さな行動を積み重ね、少しずつ前を照らしていく。その積み重ねが、やがて周りをも照らすようになるのだと思います。雨の日が続くときこそ、意志が問われる。だけど、雨の中でも誰かの傘になれる人が増えたら、この世界はもう少しあたたかくなるんじゃないかと思うんです。悲観が訪れるのは自然なこと。でも、その中で希望を選ぶのは、いつだって自分の意志です。あなたにとって、“意志としての楽観”が試される瞬間は、どんな時ですか?